歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第199回
―義久の家督問題に関与―

本日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回から2回にわたり、平田増宗を書きます。
平田増宗といえば、島津義久の晩年の老中です。その頃には老中制は崩壊したともいえますが、一番の側近だったことは間違いありません。
これまでも増宗について何度か触れていますが、単独で正面から書いたことはありませんでした。戦国島津氏と近世島津氏の移行期のはざまで埋もれてしまい、忘れ去られてしまった人なので、ちゃんと書いておこうと思いました。

記事に載せた写真ですが、東山の今熊野観音寺で、「平田太郎左衛門尉」という文字を見たときには驚いた覚えがあります。「おおっ、ここに増宗の痕跡が残っていた」という感慨がわき起こりました。
それを見てからもう数年たちましたが、ようやく記事にできました。

ちなみに、増宗の平田家は平田氏の嫡流でしたが、弟宗親も自害を命じられ、一族みな滅んでいます。
木曽川の普請で有名な平田靱負は同じ平田氏の分家のほうで生き残った子孫です。

次回はいよいよ記念すべき200回ですね。
増宗の暗殺場面を書く予定です。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2011/06/27 20:10】 | さつま人国誌
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