歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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この間、またいろいろな刊行物や論考を頂戴しました。
記して御礼申し上げます。

松尾千歳氏(尚古集成館副館長)より
松尾さんからは以前から、いろいろご教示をいただいている。
今回、ご本人の論考3点と尚古集成館の展示図録2点を頂戴した。
論考は、

①「島津斉彬の写真研究に関する一考察」 『尚古集成館紀要』9号 2010年3月
②「嘉永四亥年斉彬公御家督初而御入部其他留」 『尚古集成館紀要』10号
③「鹿児島の歴史・文化再考」 『想林』創刊号 鹿児島純心女子短期大学江角学びの交流センター 2010年


このうち、①はとくに興味深い。島津斉彬と写真技術については有名だが、それを支えたのは斉彬側近のうち、高木市助・宇宿彦右衛門・伊地知次郎八が中心だったという。
高木市助は有名な嘉永朋党事件(高崎崩れ)のとき、お由羅派の呪詛に対して呪詛返しの呪法を行った兵道家だったというのが面白かった。
②は家督を継いだ斉彬が藩主として初めて入部したときの記録を翻刻し、解説を付したもの。
興味深いのは鶴丸城入城後、最初に御目見を許したのは島津周防(のち久光)、島津安芸(篤姫実父)、種子島弾正など弟や叔父たちで近しい親族だったこと。また城中大奥に入ってからも、最初の御目見は叔母の松寿院(種子島久道室)だった。一門家・家老などの御目見よりも親族が優先されているのが面白い。

図録は、

『海洋国家薩摩~海がは育んだ薩摩の文化~』 2010年
『薩摩とイギリス~海が結んだ絆~』 2011年

いずれも、興味深い写真や図版がたくさん収録されている。


古城春樹氏(下関市立長府博物館館長)より
この間、いろいろお世話になっている古城さんからまたいただいた。有難いと同時に恐縮する。

『長州維新維新の道』下・萩往還 九州長州文化図録撰書9 図書出版のぶ工房編 2011年

刊行されたばかりで、まだネットでは探せませんが、同書上巻はここにあります。

このなかで、古城さんが「長府藩士三吉慎蔵龍馬非護衛説について」という論考をお書きになっている。
これは以前少しお話を聞いたことがあるが、寺田屋事件に至るまで、三吉慎蔵が坂本龍馬の護衛役として同行したと評されてきたことに対して、異論を唱えた内容である。三吉の日記鈔録には、

「御内命を以て当時勢探索の為め~」

と書かれており、藩命により上方情勢の探索のために上京したことがわかる。
古城さんは、長府藩の内情を詳しく解説しながら、慎蔵の使命が何だったかについて通説の誤解を糺していて、なかなか説得的である。
また当時、長州藩が龍馬を薩摩藩士だと認識していたことなどを紹介している。
また同館学芸員の田中洋一氏の「長州各藩の教育概論」という論考も掲載されている。
長州藩といえば、一般に本藩の立場や視点に偏りがちだが、3つの支藩や岩国吉川家の動向もとくに幕末期には重要で、独自の動きを示していることはもっと広く知られていいと思う。今後の情報発信を期待したい。

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【2011/07/17 14:46】 | 信長
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