歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
日次記です。

1日(月)
雑誌連載の単行本化にあたり、入稿のため拙稿の構成変更や大幅な手直しを何とか終了して送稿。
でも、これからがまだ大変なのだ。何せ初校ゲラが出てくるのはこれからなんだから。

2日(火)
夕方、神保町へ。
小学館の古文書特別講座「てらこや」に出講。

佐佐木高行の『保古飛呂比』の7回目。
今回は、佐佐木がまとめた長文の土佐藩幕末前史を読む。
「おこぜ組」や「新おこぜ組」、「五十人組」などをおさらい。
土佐藩の内部抗争史を見ていると、主義主張というよりは、門閥派と藩主の後押しを得た「改革派」(どちらかといえば、門地家柄が低い)の対立で、前者が後者を押しつぶすことがくり返されているような印象。

とくに「おこぜ組」の首領、馬淵嘉平の「心学」を軸とした結社の秘密性、閉鎖性が党派としての台頭をもたらす要因になると同時に、門閥派や反対派から「伴天連」などとレッテルを張られて攻撃されるきっかけも与えたように思われる。
馬淵の「心学」とは果たしてどんなものだったのだろうか? 石田梅岩の「石門心学」と違うのか否か? 馬淵が「心学」に独自の工夫をしたと佐佐木が書いているから、だいぶ違うものだったのだろうな。不勉強で知らないが、先行研究はあるのだろうか?
幕末のトンデモ本に「フリーメーソン」ネタがあるけど、馬淵の「心学」こそそんな風に見えるけどなあ。

3日(水)
一昨日送稿したはずの拙稿、編集部からwordファイルがおかしいとの連絡。
改行などの処理がすべて吹っ飛んでいて、テキストデータみたいになっているとのこと。
一太郎文書をword文書にコピーしたせいかと思ったが、いままでそんなトラブルはなかった。
あるいは、wordのヴァージョン違いではないかと思ったら、どうやら当たりだった。

4日(木)
南日本新聞の連載原稿の単行本の初校ゲラ校正を先週からやっているが、なかなか終わらない。
ようやく参考文献の注記が終わった。
前作の反省点として、参考文献の注記が中途半端だったので、なるべく多く付けようと思い、やりはじめたら大変だった。机まわりは史料本が山積みになってしまって、通行もままならない(笑)。
連載56回分を一冊にまとめたが、1回につき、平均して5個程度の参考文献があるので、全部で200以上になる。
出典を忘れていたり、史料番号の確認などに手間どったが、これだけはようやく終わった。
小見出し付けと本文校正はこれから。

5日(金)
午後から新宿で某社の編集長、編プロさんと打ち合わせ。
前回大まかに打ち合わせ済みだったが、正式な決定だとか。
また締切を切られてしまい、今年はじめと同じように、また自分の首を絞めそうな予感。

6日(土)
午前中、南日本新聞の連載原稿を何とか仕上げる。
午後から半蔵門の日本カメラ博物館と併設のJCIIフォトサロンでのトークショーを拝聴。
古写真研究者の石黒敬章さんと井桜直美さんが「幕末・明治維新を生き抜いた人々」について語るというもの。
開始の直前に行くと、会場は満員だった。
井桜さんは古写真に写る人間(とくに日本人)の顔色がなぜ黒っぽいのかを多くの古写真を比較しながら追求された。黒く写るのは室内で素顔のせい、戸外だったり、白粉を塗ると白く写るそうで、男性も白粉を塗って撮影した可能性大という話だった。
最初にあったジョセフ彦など漂流漁民の写真がとくに面白かった。

石黒さんは秘蔵写真から、龍馬、勝海舟、西郷隆盛などの写真・肖像画の解析。
とくに興味深かったのは、松木弘安こと寺島宗則の若い頃の坊主頭の写真。はじめて見た。寺島がまだ医者だった頃に撮影したものだろうか。
石黒さんがあんなにダジャレを飛ばす方だとは知らなかった(笑)。

会場には、M川さん、M重さん、K持さん、S木さんなど知り合いの方々もおいで。
釣洋一さんにも久しぶりにお会いした。お元気そうで何より。
終了後、近くの喫茶店でM重さんが入手した某薩摩藩士の古写真と古文書を見せてもらう。古写真は注目すべきものだった。そのうち、ご本人が何らかの形で公表されることだろう。
新聞連載のゲラ校正が残っていたので、早めに失礼した。

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【2011/08/07 21:05】 | 日次記
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松木弘安の写真
森重和雄
桐野さま

先日はまたいろいろとご教授くださいまして、どうもありがとうございました。
お礼申し上げます。

さて、先日、桐野さんが日本カメラ博物館でご覧になった松木弘安の写真は、一番古い写真の一枚で、松木が蕃書調所教授手伝に復職後の、文久元年(1861年)12月の第一回幕府遣欧使節で、傭医師兼翻訳方の資格で随行した際にで撮影された有名な写真です。
撮影者はディッキンソンという写真師です。


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松木弘安の写真
桐野さま

先日はまたいろいろとご教授くださいまして、どうもありがとうございました。
お礼申し上げます。

さて、先日、桐野さんが日本カメラ博物館でご覧になった松木弘安の写真は、一番古い写真の一枚で、松木が蕃書調所教授手伝に復職後の、文久元年(1861年)12月の第一回幕府遣欧使節で、傭医師兼翻訳方の資格で随行した際にで撮影された有名な写真です。
撮影者はディッキンソンという写真師です。
2011/08/08(Mon) 00:48 | URL  | 森重和雄 #-[ 編集]
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