歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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未完の明治維新

坂野潤治氏の新刊(ちくま新書)である。

新書という特性を活かした好著ではないだろうか。
簡潔でわかりやすく、かつ本質を押さえた叙述方法によって、明治維新のとらえ方、わが国の近代化がどのような路線選択で行われたかがよくわかる。
歴史学者の一般読者向けの啓蒙書はこうでなければならないという好例であろう。

また随所に図版が挿入されているのがよい。
たとえば、図1(8頁)。

大久保利通(殖産興業)
西郷隆盛(外征)
板垣退助(議会設立)
木戸孝允(憲法制定)


という四人の英雄の考え方の違いが、どのような合従連衡や葛藤対立を生じさせるのか。そして、その違いが明治初期における実際の政治的な動向や事件をどのように規定したかを読み解くカギになっている。

とくに西郷と大久保は「富国強兵」という共通項(どちらかといえば、議会制や憲法に消極的という傾向)があるものの、大久保の殖産興業は「富国論」(外征はこれを頓挫させるから反対)、一方の西郷の外征論は「強兵論」(対等開国による対外強硬路線)であり、相互依存と矛盾対立が背中合わせの関係にあるという。

目からウロコだったのは、日本史の教科書には絶対載っている「富国強兵」という言葉が、その実、「富国」と「強兵」とで相矛盾しているという指摘だった。この四字熟語に何も疑問を感じずにいたのが恥ずかしかった。

また、征韓論についての独自の解釈も面白かった。
西郷・桐野とも、征韓論者ではなく、むしろ征台論者で対中戦争を企図していたという指摘にはなるほどと思った。私も西郷・桐野らが外征論者として一括りにされているけど、それでいいのかと思っていた。

そして、西郷の下野はその主義の敗北を示しているようにみえるが、必ずしもそうではなかったようだ。台湾出兵後、大久保が対中交渉に臨んだが、薩摩閥は官野を問わず、この交渉が失敗すると見ており、それを機に対中戦争に踏み込み、そのときには西郷を呼び戻して総司令官に据えるという計画を、黒田清隆・川村純義らが進めており、おそらくこれに西郷従道も支持するはずだし、在野の桐野らも鹿児島から呼応し、薩閥の大団結が実現したかもしれなかった(大久保は微妙な立場になるが)。
でも、これは一大軍事国家志向であり、仮に実現したとしても、かなり早い時期に挫折したと思うけど。

毛利敏彦氏によって西郷は「遣韓論者」で「平和主義者」だったという主張がなされ、某県では盛んにこれを強調して、教科書会社にまで記述の修正を要求しているほどだが、事はそんな単純な問題ではないこともわかった。

非常に読みやすい本なので、幕末維新史や近代史に興味のある方には一読を勧めます。
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【2007/03/22 21:39】 | 幕末維新
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