歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第205回
―公家との交際、特殊な役割―

昨日、新聞連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

岡崎藩邸、小松原調練場と来て、錦小路藩邸の番になりました。
本来は他の二つより先に書くべきだったかもしれませんが。

今回は錦小路藩邸の前史とその成り立ちに絞りました。
とくに興味深いのは、錦小路藩邸に先行して、もうひとつ藩邸があったことです。
場所は室町四条下ルです。出典は地誌「京羽二重」です。
その存在は前から知っていたのですが、錦小路藩邸と混同しているのではないかと軽く考えたままでした。

ところが、今回の執筆にあたり調べてみると、やはり別の藩邸であることがわかりました。
ただ、いつ頃出来たのかまでは、史料不足というより時間不足で突き止められませんでした。
とりあえず、遅くとも貞享2年(1685)にはすでに存在しており、どこまで遡るかですね。
『旧記雑録追録』などを精査してみると、何か出てくるかもしれません。
本来はこの藩邸にも名前を付けないといけないですね。
記事にも書きましたが、錦小路藩邸にあやかれば(東西の通りを冠する)、四条藩邸か綾小路藩邸でしょうか?

あと、錦小路藩邸もいつ成立したか、力不足でわかりませんでした。
藩政史料と京都側の史料の双方を突き合わせるべきかもしれません。
これも今後の課題です。

次回はその下で、幕末の錦小路藩邸の動き、安政の大獄や僧月照の都落ち、鍵屋の話などになるでしょうか。

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【2011/08/23 01:54】 | さつま人国誌
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