歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第206回
―僧月照、悲劇への起点―

【お詫び】
先週8月29日(月)は掲載日でしたが、特別記事のため急遽休載になりました。お知らせすべきでしたが、うっかりしてお知らせできませんでした。

連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をご覧下さい。

前回に引き続き、錦小路藩邸について書きました。
エピソードとしては2つ。
ひとつは島津斉彬が入京して近衛家を訪問したときのこと。
伏見を発った山田為正が日記に弁当を作って行ったと書いているのが何げに注目です。
錦小路藩邸では、藩士たちのために食事や弁当の支度ができなかったのでしょう。
なお、この山田は斉彬が亡くなる直前、島津久光父子を枕頭に呼んで後事を託したときに立ち会い、斉彬が語ったことを克明に記録した人物です。斉彬は久光にも藩主になれと勧めているのですが、久光が辞退しているんですね。

もうひとつは、錦小路藩邸の近くにあった藩邸御用達の定宿鍵屋のこと。
書くとすれば、やはり月照一件しかないと思いました。
有馬新七の『都日記』によれば、月照が何度も鍵屋を訪れているのが印象的です。

じつは、エピソードは3つ入れる予定でした。
残りのひとつは、慶応2年(1866)1月、薩長同盟締結の前後、在京していた薩藩家老の桂久武が大丸で買い物(国許への土産ののため)をしたことを日記に書いています。
錦小路藩邸跡には現在、大丸百貨店京都店がありますが、当時の大丸はどこにあったのか興味があって、大丸の社史などの史料を取り寄せていました。
ところが、上記2つを書いたら,分量一杯になってしまい、書けませんでした。残念です。
当時の京都の大丸はかなり大きな規模だったようです。

次回からは先日の取材成果を活かして、島津義弘関連の記事を書きたいと思います。

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【2011/09/05 20:54】 | さつま人国誌
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大丸の謎
戸崎こと千葉和彦
>薩藩家老の桂久武が大丸で買い物

思わずギョッとしました。
江戸の大丸が御庭番のアジトになっている史実(?)を連想したのです。
京都の大丸もアジトだとすれば、桂右衛門の買い物の品目も幕府に筒抜けになっているのでしょうか? 
それとも、大丸の小売セクションと公儀御用セクションは別とみていいのでしょうか?

大げさでは
桐野
戸崎こと千葉和彦さん

大丸は関西のお店だと思っていました。
江戸時代、江戸に進出していないのでは?

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この記事へのコメント
大丸の謎
>薩藩家老の桂久武が大丸で買い物

思わずギョッとしました。
江戸の大丸が御庭番のアジトになっている史実(?)を連想したのです。
京都の大丸もアジトだとすれば、桂右衛門の買い物の品目も幕府に筒抜けになっているのでしょうか? 
それとも、大丸の小売セクションと公儀御用セクションは別とみていいのでしょうか?
2011/09/07(Wed) 15:22 | URL  | 戸崎こと千葉和彦 #B2zLP17c[ 編集]
大げさでは
戸崎こと千葉和彦さん

大丸は関西のお店だと思っていました。
江戸時代、江戸に進出していないのでは?
2011/09/09(Fri) 08:38 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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