歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
20年くらい前の大河ドラマから、近江浅井氏を「あざい」と読むのが通例になっている。
それは、同ドラマの戦国時代の時代考証を担当する小和田哲男氏が近江浅井氏の研究者であることから、その意向が反映されているのだろう。
もっとも、小和田氏は「あざい」読みの根拠を明確にされているのだろうか? 管見の限りでは存じ上げないが、今日、地名の浅井が「あざい」と読むからだと仄聞したことがある。ご存知の方がおいでならご教示下さい。

しかし、現代の地名が「あざい」だからといって、戦国期もそのように読んだとは限らないし、また浅井氏は名字だから、地名と同じ読みをするとは限らない。

そのように根拠があいまいだったせいか、最近は「あさい」読みが巻き返してきているように思う。
その代表は宮島敬一氏の『浅井氏三代』(人物叢書、吉川弘文館)で、冒頭のはしがきで『和名類聚抄』などを根拠に「あさい」だと断定された(同氏は『本郷』74号、2008年でも同様の主張をされている由)。

その後、宮島氏の上記著書の書評で、西島太郎氏が宮島説を踏まえて、戦国期までは「あさい」だったのが、江戸時代初期(『東浅井郡志』は慶長18年とする)からは「あざい(郡)」読みに変化したのかと問題提起している(『織豊期研究』10号、2008年)。

で、この議論では素朴な疑問がある。研究者にはそれほど珍しくない史料の吟味が抜け落ちていると感じている。
それは、『大日本史料』10-17に収録された「南部文書」三である(305頁)。
これは浅井久政・長政父子の死去の綱文(天正元年8月27日)に収録された史料で、浅井氏の位牌所、菩提寺だった徳勝寺の住持楊厳が浅井家追善再興について述べた文書である。慶長16年(1611)7月朔日と年次が入っている。
これはほとんど仮名で書かれ、しかも清音・濁音が混在していて、浅井の読みを検証するのにこれ以上ない史料である。
このなかに浅井読みは4カ所登場する。いずれも浅井氏三代の人名であり、地名ではない点が重要である。それを順に挙げると、

1.あさいびぜんのか□(不明字)、なのりハすけまさ

2.あさいしもつけのかミひさまさ

3.あざいびぜんのかミながまさ

4.あざい三たい
(三代)


「あさい」読みが2例、「あざい」読みも2例と見事に拮抗している。
それでは結論はどちらともいえないかというと、そうではないだろう。
中近世の古文書や古記録では清音表記が圧倒的に多い。そういうなかで、濁音表記がこれだけある点が非常に重要で、1.2.も実際の読みは濁音の可能性さえある。


この文書は浅井氏の滅亡、長政の死から38年後に書かれたものだが(慶長18年説より2年遡る)、浅井氏の菩提寺の住持の文書である点が極めて重要である。住持の楊厳が大檀那だった浅井氏の読みを知らないはずがないからである。楊厳はすでに2代将軍秀忠の治世、すなわち、浅井三姉妹のお江が将軍家御台所になっていることから、浅井氏の追善再興を企て、それは徳勝寺がもとの小谷山から現在の長浜市街に再興されることにつながったのである。

そのように浅井氏の由緒としてはきわめて正確な史料だという前提に立ち、史料に忠実に解釈すると、遅くとも浅井氏三代めの長政の代には「あざい」読みだったことになる。そして、お江も淀殿も「あざい」氏だったことになるのではないだろうか。

「あさい」か「あざい」の議論はこの史料を無視してはできないだろう。
なお、この史料は東京大学史料編纂所のサイトにあるデータベース(大日本史料)から誰でもアクセスして調べることができます(ただ、本日夜から明朝まではメンテナンス中)。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2011/10/08 22:26】 | 戦国織豊
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あざい?
びわこ
桐野さん、こんにちは。

浅井の読み方は、地元が「あざい」って読むから、「あざい」なんだと思っていました。

改めてこの史料を見ますと、長政の時に「あさい」は「あざい」になった可能性もある・・・ってことですか。興味深い史料ですね。

地名としての「浅井」が「あざい」って読まれるのは、「大蛇(おろち)」が「おとち」と読まれるような、湖北の訛りのように何となくですが思っていました。

文字が読めないので
より
さっぱり読めませんでした。
そこで、ふりがなや挿絵のある説法集を。
オークションで購入しました。

最近は、各所で、pdfで公開されて居ますので
助かります。

IPad!には、、これらが300冊入っています。
重宝して居ます。
鹿児島、宮崎が公開されると、嬉しいのですが。

方言
桐野
びわこさん、お久しぶりです。

亮政・久政の代と長政の代とで名字の読みが違うというのはふつう考えられないですね。
個人的にはずっと「あざい」だったのではないかと思っています。「あざい三たい」とも書いてありますから。

びわこさんの「あざい」読みは地元方言かもというのは妙に納得しました。

別の例ですが、「桶狭間」も「おけはざま」ではなく、地元では「おけばさま」と読んだかもしれないです。何となく似ているような事例です。

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この記事へのコメント
あざい?
桐野さん、こんにちは。

浅井の読み方は、地元が「あざい」って読むから、「あざい」なんだと思っていました。

改めてこの史料を見ますと、長政の時に「あさい」は「あざい」になった可能性もある・・・ってことですか。興味深い史料ですね。

地名としての「浅井」が「あざい」って読まれるのは、「大蛇(おろち)」が「おとち」と読まれるような、湖北の訛りのように何となくですが思っていました。
2011/10/09(Sun) 01:30 | URL  | びわこ #-[ 編集]
文字が読めないので
さっぱり読めませんでした。
そこで、ふりがなや挿絵のある説法集を。
オークションで購入しました。

最近は、各所で、pdfで公開されて居ますので
助かります。

IPad!には、、これらが300冊入っています。
重宝して居ます。
鹿児島、宮崎が公開されると、嬉しいのですが。
2011/10/09(Sun) 22:46 | URL  | より #EBUSheBA[ 編集]
方言
びわこさん、お久しぶりです。

亮政・久政の代と長政の代とで名字の読みが違うというのはふつう考えられないですね。
個人的にはずっと「あざい」だったのではないかと思っています。「あざい三たい」とも書いてありますから。

びわこさんの「あざい」読みは地元方言かもというのは妙に納得しました。

別の例ですが、「桶狭間」も「おけはざま」ではなく、地元では「おけばさま」と読んだかもしれないです。何となく似ているような事例です。
2011/10/10(Mon) 00:07 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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