歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第212回
―家久、国松を養子に望む―

連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回はタイトル通りで、島津三姉妹と浅井三姉妹にじつは接点があるという話です。
もっと具体的にいえば、亀寿とお江の三女同士の不思議な縁です。タイトルもそうすればよかったか。

久しぶりに昨夜、大河ドラマを見たら、少し成長した竹千代と国松がすでに登場していて、意地悪で粗暴な兄と礼儀正しくて賢そうな弟という対比で描かれていました。
ドラマの中身は承知していなかったのですが、結果論ながら記事はちょうどよいタイミングでした。

家久は自分の家督継承者としての地位が不安定であることをよく承知しており、その理由もよくわかっていたと思います。そこで窮余の一策が徳川幕府の実力と権威をあてにすることでした。

大御所家康に大身の大名としては体面に関わるような申し出をして、たしなめられています。
家康もさぞや呆れたことでしょうが、島津家中の内情をよく知っているだけに、助け船を出したのだと思います。

それにしても、側室をもつにも家康の援助が必要だとは、家久もよほどの軟弱か、亀寿がお江のように嫉妬深いのか(あくまで通説のお江です)と、これまた共通点が見出せそうですが、じつはそうではありません。

私も事情をよく承知していませんが、島津家は日新斎→貴久→義久と3代にわたり、正夫人が健在のうちは側室を置いた形跡がありません。例外としては、たとえば、島津四兄弟の末弟、中務大輔家久の生母は側室の少納言(橋姫とも)ですが、貴久夫人はすでに他界しておりました。

つまり、少なくともこの3代は正夫人が健在なうちは側室を置かないという不文律があったと思われます。その理由は何なのか、私もよくわかりません。お家存続の戦略としてはリスクが大きいやり方だと思いますが、一方で、お家騒動が生じにくいメリットはあるかもしれません。あるいは日新斎が信仰深く「在家菩薩」として五戒を厳守しており、そのなかの「不邪淫」の戒めを守ったことと関係があり、貴久と義久もそれを見ならったのでしょうか。

ですから、その3代につづく家久も夫人亀寿が健在なうちは側室を置くことができなかったわけです。そこで家康への異例の嘆願となったのでしょう。

なお、この時期、義久の最晩年で、その4カ月後に義久は他界します。
すると、重石が取れた家久は、すぐさま側室を持ちました。恐くてうるさい舅が亡くなれば、もう家康に頼る必要もなくなったわけです。

その意味では、家久は先行する3代の不文律を堂々と横紙破りしたわけで、私は家久からやはり、島津家が変容したと思っています。それは中世から近世へという大きな時代転換であるとともに、島津家中のルールや枠組みが変わったという二面的な意味でもそうだと思っています。

記事では書けなかった点を少し補足しました。

余談
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【2011/10/24 23:55】 | さつま人国誌
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ばんない
こんばんは。

1点指摘をば。
日新斎忠良の側室・上木貞時女は、忠良の正室・島津重久女生存中に尚久生んでます。

但し、確かにご指摘の通り、戦国時代の島津氏の男性は側室抱えた事例は少ないですね。
江戸時代以降も本家当主は派手な人が多い傾向が見受けられますが、家臣の方はそれほどでもないように思われます(かなりの大身でも)。

おっと
桐野
ばんないさん

見落としてましたかね。
だったら、立論が成り立たないか。


いえいえ
ばんない
こんばんは。

でも確かに義久以前と家久(忠恒)以後では何か”質”が違うような印象はありますね。
正室が老齢になってから(忠良)或いは正室死後(貴久)になってから側室、それもたった一人を迎えたのと、家久(忠恒)以後のハーレム状態とは何か違うように思われます。

しかし一番謎なのは男子0なのに側室一人も抱えなかったらしい義久ですが。



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コメント
この記事へのコメント
こんばんは。

1点指摘をば。
日新斎忠良の側室・上木貞時女は、忠良の正室・島津重久女生存中に尚久生んでます。

但し、確かにご指摘の通り、戦国時代の島津氏の男性は側室抱えた事例は少ないですね。
江戸時代以降も本家当主は派手な人が多い傾向が見受けられますが、家臣の方はそれほどでもないように思われます(かなりの大身でも)。
2011/10/25(Tue) 01:13 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
おっと
ばんないさん

見落としてましたかね。
だったら、立論が成り立たないか。
2011/10/26(Wed) 01:48 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
いえいえ
こんばんは。

でも確かに義久以前と家久(忠恒)以後では何か”質”が違うような印象はありますね。
正室が老齢になってから(忠良)或いは正室死後(貴久)になってから側室、それもたった一人を迎えたのと、家久(忠恒)以後のハーレム状態とは何か違うように思われます。

しかし一番謎なのは男子0なのに側室一人も抱えなかったらしい義久ですが。

2011/10/26(Wed) 23:02 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
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