歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第213回
―豊臣の影響と権力分散―

連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

このところ、島津義弘関連の記事を続けていますが、今回もそうです。
先日の取材の成果を活かす意味もあります。

栗野城は前から行ってみたいと念願していましたが、ようやくそれがかないました。
同城の枡形虎口を初めて実見して、このことを書きたいと思った次第です。

島津氏領国(佐土原家は除く)で織豊系城郭の影響があるのはおそらく同城だけだと思います。影響といっても中途半端で、本丸にわずかにあるだけです。
結局、在地性の強い島津氏領国では、織豊系城郭は最後まで定着しなかったと思われます。

そのあたりの限界を書いてみました。
とくに、朝鮮出兵での出陣で、義弘はわずかな供廻しか集められなかったというのはけっこう衝撃的ですね。
家臣団の独立性が強いのもさることながら、みな朝鮮半島まで出かけて戦争する意味など見出せず、避戦志向が強かったのでしょう。ある意味、健全といえば健全です。
そして、その結果は義弘を「日本一の大遅陣」と嘆かせることになるのもよく知られています。

義弘の有名な逸話が栗野城を舞台にして始まったということも書きたかった理由のひとつです。

いよいよこの週末、5日(土)14:00から、義弘の地元である姶良市姶良公民館で「義弘と姶良」と題して講演を行います。
鹿児島の方、義弘に興味のある方はぜひご参加下さいませ。
詳しくは、ここにあります。

下記をクリックして下さいね。
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【2011/10/31 18:18】 | さつま人国誌
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