歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第215回
―修験者がはぐれ組収容―

昨日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

先週は休刊日でお休みでした。
今回は、先日奈良に取材に行った題材です。桜井市の三輪山です。

もう10年以上前でしょうか、関ヶ原合戦での島津の退き口と関連して、三輪山の大先達(修験者のリーダーです)に宛てた島津家有力家臣が連署した銀子借用書が鹿児島で話題になり、島津義弘が三輪山に潜伏していたという説が唱えられました。某町では、義弘を匿ってくれたのに感謝すると、町を挙げての奈良バスツアーまで実施されたほどです。

当時から、私はそれはおかしい。義弘は三輪山には立ち寄っていない、だいたい借用書に義弘の署名はないし、しかも日付の時点でとっくに鹿児島に帰っていると書いたこともあります。

聞くところによると、その後もこの説は生きているそうなので、少し反論しておいたほうがよいと思い、書いてみました。

だいたい、義弘一行とはぐれて鞍馬寺に潜伏していた新納旅庵が署名しているわけですから、旅庵と義弘が一緒にいるはずがないのですがねえ。

三輪山はなかなかよい所でした。
巫女さんが後頭部に大きな熨斗を付けて歩いていたのに、少し驚きました。とっても大きかったです。
お土産に三輪素麺を買えばよかったと、少し後悔しました。
寒くなると、煮麺もいいですからね。

次回は、このはぐれ組の一人、本田助允を取り上げてみようかと思っています。

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【2011/11/22 00:16】 | さつま人国誌
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