歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第217回
―土佐で二分金贋造を企図―

昨日、連載が更新になっていたのをうっかりしていました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

このところ、島津義弘関連ばかりだったので、少し気分転換して幕末期、それもよく知られた坂本龍馬にしました。
といっても、龍馬が薩摩藩の偽金に関心を示していたことはそれほど知られていないと思います。

龍馬が薩摩藩の偽金のことを知っていて、それを土佐藩でも贋造しようという意向を示したのは佐佐木高行の『保古飛呂比』に出てきます。

鹿児島側では、近年、徳永和喜氏の研究により、幕末薩摩藩の偽金づくりの実態がかなりの程度判明しています。
それまで調所広郷が偽金をつくっていたといった俗説もありえないと否定されています。また島津斉彬の時代にも偽金はつくられていません。

薩摩藩が幕府から琉球貿易の決済通貨として鋳造を許可されていた「琉球通宝」を、刻銘だけ「天保通宝」にした偽金をつくり出したのは文久年間、すなわち久光の時代からです。

龍馬が目をつけた「二分金」の偽金は慶応元年(1865)頃からつくられています。
薩摩藩の偽金についての研究から、龍馬の偽金への着眼もその背景や意図がよくわかるようになりました。
いわゆる新婚旅行のときに、龍馬は二分金の偽金を知ったのではないかと書きましたが、龍馬の一回目の入薩は慶応元年ですから、このときに知った可能性もあります。
もっとも、このときは滞在期間が短く、また薩摩藩との関係もそれほど深くない時期ですので、新婚旅行のときのほうが可能性が高いのではと推測してみました。むろん、一回目の入薩時も排除するものではありません。
そのあたり、紙数の関係で詳しく書けなかったので、補足しておきます。

次回は久しぶりに小松帯刀の話題にしてみようかなと思っています。

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【2011/12/06 18:52】 | さつま人国誌
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