歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
またご論著いただきました。
記して御礼申し上げます。

金子拓さんより
『記憶の歴史学―史料に見る戦国―』 講談社選書メチエ 2011年12月 定価1.800円+税

共同研究や輪読会などでご一緒している金子さんの新著。
何といっても、タイトルが目を引く。
歴史学やその研究者は「史料」があってはじめて成立するが、「記憶」が果たして「史料」になりうるかという意表を突いたテーマです。
「史料」は客観的に見えて、少なくない錯誤や主観が入り込むのは避けられないわけで、もともと「記憶」との境界もあいまいなのかもしれないなと感じた。氏の豊かな着眼に改めて感じ入った。
とくに細川ガラシャ(明智玉子or惟任玉子)の自害一件の真相追求が、太田牛一の記録を手がかりに、細川家の史料を博捜したもので面白かった。
余談ながら、本書のなかで『兼見卿記』天正10年分が2種(別本と正本)あるのも取り上げられている。記録の改変と記憶の関わりの素材として用いられている。しかも、20年前の古い拙著が俎上に上げられているのは忸怩たるものがあった。できれば焚書したい本だからだ。一度公表してしまうとずっとあとに残ることになると改めて痛感した次第。

大西泰正さんより
「明石掃部の基礎的考察」 『岡山地方史研究』125号 岡山地方史研究会 2011年12月

宇喜多氏の研究者である大西さんから拝受。
キリシタン武将でも知られる明石掃部(実名は守重が正しいらしい)はいわば謎の武将だが、史料的な制約があるなかで、できうる限りの史料を収集・動員して、その基礎的な史実の確定につとめている。
掃部については、その出自から家督継承時期、キリシタン入信時期、秀家との関係、宇喜多家中での地位、その後の消息など不明な点が多すぎるが、それらにかなり肉薄したものになっている。
キリシタンに入信した時期はかなり遅かったことがわかるし、黒田長政との交流なども興味深い。関ヶ原合戦後、一時長政に仕えたらしいことなども興味深い。
福岡藩の分限帳には「明石道斎」とあり、「明石掃部全誉」のことだと書かれている。掃部の実名を「全登」としたものがあり、私も疑問に思いながら使用したこともあったが、「全誉」を誤読したものなのかとも思った。なお、「全誉」は「オシトウ」と読むらしい。
謎の多い人物だけに大変勉強になりました。

ほかにも頂戴したものがありますが、また紹介します。

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【2011/12/25 13:50】 | 新刊
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ありがとうございました
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桐野さま

お世話になっております。大西です。
拙稿について過分の褒詞をたまわり感謝にたえません。
至らぬ点、検討課題ばかりでお恥ずかしい限りですが、
今後とも宜しくご指導のほどお願いいたします。
年末ご多忙のところ本当にありがとうございました。

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この記事へのコメント
ありがとうございました
桐野さま

お世話になっております。大西です。
拙稿について過分の褒詞をたまわり感謝にたえません。
至らぬ点、検討課題ばかりでお恥ずかしい限りですが、
今後とも宜しくご指導のほどお願いいたします。
年末ご多忙のところ本当にありがとうございました。
2011/12/29(Thu) 21:53 | URL  | zeigen #yzB3.Y0U[ 編集]
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