歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
もうすぐ除夜の鐘も聞こえそうです。
今年は3・11をはじめ自然災害が多い多難の年でした。

そんななか、個人的な思い出は、秋に訪れた南日向の旅です。
何より、戦国島津氏のゆかりの地でもあります。
島津四兄弟の末弟家久が一説によれば、豊臣秀長から毒を盛られたという野尻、同じく伊集院忠真が島津忠恒に謀殺された場所でもあります。
伊東氏の居城都於郡(とのこおり)城も行きました。想像以上の規模で、深くて鋭角的な堀切や空堀、5メートルはあるかという高い土塁など、その遺構の素晴らしさに驚きました。
そして、私が現在もっとも興味をもっている島津家久の墓にも詣でることができました。以前、佐土原には西南戦争の取材のときに立ち寄ったことはあるのですが、取材のテーマの関係上、家久関係は回れなかったので、ようやく念願が果たせました。家久の墓には祈り事をしてきました。
ほかにも高岡郷や去川関なども行きました。

都於郡と佐土原だけでも十分だったのですが、せっかくなのでと思い切って飫肥にも足を伸ばしました。
飫肥は日向国南端で伊東氏の城下町。
南九州の小京都として観光名所にもなっています。

隣県ながら、いままだ一度も訪れる機会がなく、これまた念願がかないました。折から小雨模様でしたが、拝観したときは雨は止みました。
あちこちにNHKの数年前の朝の連ドラ「わかば」の古びたポスターが貼ってあった。飫肥が舞台だったんですな。知らなかった。しかも、ポスターの主が誰かと思ったら原田夏希じゃないの。大河「篤姫」で小松帯刀の京都妻お琴を演じた人。

飫肥は明治後期の外務大臣小村寿太郎の出身地でもあります。
ドラマ「坂の上の雲」でも登場しましたね。
小村はポーツマス講和条約での日本側全権としてもよく知られていますが、やはり安政条約以来の条約改正に尽力した人としても記憶されるべきで、今日のわが国のTPP加盟の動きを、小村なら何と言うだろうかという気がしています。先人の努力だけは無にしたくないもの。
飫肥にとって、小村は地元の英雄のようで、生誕地、墓地、記念館、銅像と何でもありました。そのうちのいくつかを紹介しておきます。
生誕地
小村寿太郎生誕地
小村墓
小村寿太郎と小村家の墓所
小村銅像
小村寿太郎銅像

飫肥城もよかったですね。伊東氏は5万石ほどの小大名ですが、城郭はとても立派で、鶴丸城の比ではありません。しかも、保存状態がいいです。それでも江戸時代には3度の大きな震災に遭ったそうです。
飫肥城
飫肥城

お城をめぐったあと、お腹がすいたので、城内のお店で腹ごしらえ。
飫肥は飫肥天が有名。じつは城めぐりのときも、飫肥天を買い食いしたくらいです。
飫肥天、要は鹿児島だと薩摩揚げ、つけあげとほぼ一緒です。味は薩摩揚げをさらに甘くした感じで、昔は子どものおやつには最適だったと思います。
それで、食べたのは飫肥天定食でした。左上が飫肥天です。
飫肥天
飫肥天定食

四半的
四半的を射る私とY口さん

腹ごしらえをした頃にはもう閉門に近く、飫肥まで来たならば、やはり名物の四半的(しはんてき)をしないと甲斐がないと、大手門外にあった射場で四半的を実射しました。
四半的というのは、的(標的)までの距離が四間半(約8・2メートル)、矢の長さが4尺半(約1・36メートル)、的の直径が4寸半(約13・6センチ)と、すべて四半でそろえてある飫肥独特の弓道です。地元では老若男女が楽しんでいます。
通常の弓道とくらべて、矢が異様に長く的がほんとに小さいです。
時間の関係で5本しか射てなかったですけど、1本も刺さりませんでした。1本だけ的の縁に当たったのですが、弾き飛んで刺さらなかったのが残念です。
同行したY口さんは高校時代、弓道をしていたそうですが、その彼でさえ1本も当たりませんでした。
矢が長くてしなるため、狙いがつけにくいでした。
次回こそはと思いますが、その機会があるかどうか。

小倉処平
小倉処平の墓

最後に訪れたのが小倉処平の墓。
旅行直前に、飫肥を訪れた友人から小倉処平の墓があると聞き、ぜひ訪れたいと思っていました。
小倉は海外留学経験もあり、明治政府の官僚でした。そのまま何事もなければ、大臣クラスになっていたでしょう。後輩の小村寿太郎を薫陶したことでも知られます。
小倉は佐賀の乱で敗れた江藤新平を匿ったこともあり、西南戦争では西郷軍に与し、飫肥隊300名を率いて従軍、各地を転戦した末、延岡の和田越の戦闘で自刃しました。
小高い岡の上に、飫肥隊の戦死者の墓所がありました。訪れる人とてほとんどおらず、かなりさびれ荒れておりました。そのなかから、小倉の墓をようやく見つけて祈りを捧げました。飫肥隊からは有為な人材が数多くなくなったのが、その墓標の多さから実感しました。

南日向訪問は思い出深い旅となりました。

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【2011/12/31 22:34】 | 歴史紀行
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二中
Y口
 四半的、私は今回で3回目でしたが、
まだ二中しかしていません(^^;)
 昨日の南日本新聞11面の地震の記事で、
清武川南岸のあたりまで飫肥藩の領地だった
ことを知りました。石高の割には領地が
意外と広かったことに驚きでした。

 

良いお年をお迎え下さい
市野澤 永
本年は講演依頼をお受け下さり、
ありがとうございました。

新書のお手伝いをさせて頂いたことは貴重な経験でした。
感謝致しております。

来年も宜しくお願い致します。

明けましておめでとうございます。
小林 哲也
桐野先生

明けましておめでとうございます!
どうぞ、本年もよろしくお願いいたします。
            小林 哲也

御礼
桐野
小林哲也さん

本年もよろしく。
ご本有難うございました。
よく出来ていますね。


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コメント
この記事へのコメント
二中
 四半的、私は今回で3回目でしたが、
まだ二中しかしていません(^^;)
 昨日の南日本新聞11面の地震の記事で、
清武川南岸のあたりまで飫肥藩の領地だった
ことを知りました。石高の割には領地が
意外と広かったことに驚きでした。

 
2011/12/31(Sat) 23:25 | URL  | Y口 #qHI8YIeE[ 編集]
良いお年をお迎え下さい
本年は講演依頼をお受け下さり、
ありがとうございました。

新書のお手伝いをさせて頂いたことは貴重な経験でした。
感謝致しております。

来年も宜しくお願い致します。
2011/12/31(Sat) 23:47 | URL  | 市野澤 永 #-[ 編集]
明けましておめでとうございます。
桐野先生

明けましておめでとうございます!
どうぞ、本年もよろしくお願いいたします。
            小林 哲也
2012/01/02(Mon) 19:08 | URL  | 小林 哲也 #-[ 編集]
御礼
小林哲也さん

本年もよろしく。
ご本有難うございました。
よく出来ていますね。
2012/01/02(Mon) 19:44 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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