歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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今晩、今年初めての講座に出講。
小学館「てらこや」特別講座「保古飛呂比を読む」です。

今回は「佐佐木三四郎の兵庫開港不可の意見書」と題してやりました。
主な内容として、

①佐佐木三四郎の意見書
四侯会議に山内容堂が臨むにあたり、なかなかユニークな主張です。
幕府の兵庫開港を糾弾しつつ、薩長の兵庫開港容認の「条理論」に対しても「先帝の遺志」に背く、「一時の権道」だと反対しています。

②山内兵庫豊誉(容堂の弟)の死去。
豊誉は武市瑞山の理解者、擁護者として知られていますが、土佐勤王党への弾圧後、落胆して逼塞し、ついに27歳の若さで死去します。
興味深かったのは、その喪に服するため、高知城下と4か村で15日間の鳴物停止の藩命が出たことです。
藩主ならわからないでもありませんが、藩主一門への鳴物停止の事例ってあるのでしょうか?
また、豊誉の死後発見された建白書草案の文言が、容堂の大政奉還建白書にほとんどそのまま引用されていることを確認。豊誉は王政復古を待望してようです。
なお、豊誉の読みは諸説あるようですが、一応、平尾道雄説に従い、「とよなり」としてみました。「とよたか」という説もあるようですね。

③後藤象二郎と坂本龍馬の清風亭会談
有名な話ですが、この一件の1次史料は龍馬書簡2点しかないような。『維新土佐勤王史』や『伯爵後藤象二郎』の編纂物から補足。
どちらにも、長崎の芸妓、お元のことが書かれている。お元が登場するのはほかにも史料があるのだろうか?

④将軍慶喜とロッシュの会見
『淀稲葉家文書』から、ロッシュの意見を確認。
余談として、大坂でも慶喜が通常のお膳を食せず、牛肉や豚肉ばかり食べているので、係の者たちが困惑し、気味悪がっている記録を読む。あと、慶喜が曲彔=椅子を好んだという記述もあり。

ほかにも、有力譜代藩である松山藩が幕府に断りなく、勝手に長州藩と和睦を結んだことを佐佐木に知らせた大洲藩士の武田亀五郎書簡を読む。第2次長州戦争に勝利した長州藩の実力を隣接諸藩が恐れている様子がわかる。

それで、武田亀五郎は五稜郭を設計した武田斐三郎の縁者ではないのかという質問があった。
ちょっと想定外だったので宿題にさせてもらったが、ビンゴだった。
大洲藩の藩儒、武田亀五郎敬孝(1820~86)は五稜郭を設計した武田斐三郎成章(1827~80)の兄でした(明治維新人名辞典より)。
なかなか鋭いご質問でした。

というわけで、今年初めての講座ながら、なかなか充実した内容でした。

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【2012/01/10 23:55】 | てらこや
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