歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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新年さっそくご論考をいただきました。
謹んで御礼申し上げます。

柴辻俊六さんより
「元亀・天正初年間の武田・織田氏関係について」 『織豊期研究』13号 2010年10月

現在、武田・織田関係史において、もっともホットな論争になっているところです。
その一方の当事者である柴辻さんから頂戴しました。
これまで武田氏研究の観点から通説形成を主導した一人である柴辻さんの説に対して、近年、鴨川達夫さんや柴裕之さんから批判が加えられ、それに対して柴辻さんも反批判を展開するという状況です。
とくに重要な論点のひとつだった元亀2年(1571)の武田信玄による三河・遠江侵攻。その典拠となる文書の年次比定について、従来の元亀2年説は否定されたようですが、それでは天正2年か翌3年かで、また意見が分かれています。ほかにも武田勝頼の進行路など論点が多いです。
天正3年の長篠合戦に至るまで、関連文書の年次比定という基礎研究から再検討という状況のようです。
柴辻さんの反批判論文を精読して、さらに勉強してみます。


天野忠幸さんより
「松永久秀と滝山城」 『歴史と神戸』50巻6号(通巻289号) 2011年12月

天野さんは三好氏の研究で知られています。
最近は松永久秀やその家臣団にも研究の翼を延ばしておられるようです。
今回いただいたのもその一環のようですが、論文のタイトルを見て、関東の滝山城と松永久秀はどんな関わりがあるのかと首をひねったほど、不勉強な私です(笑)。
もちろん、この滝山城は関西(現・神戸市中央区)にあり、久秀の城でした。もっとも、久秀は常駐しておらず、主君三好長慶のいる芥川城に近侍していることが多かったようです。
滝山城の様子や久秀家臣団の一端がよくわかります。とりわけ、楠正虎(当時、大饗姓)の記事が興味深かった。この人、のちに信長の右筆となる楠長諳です。
正虎は久秀の家来として重用され滝山城にいたこと。正虎の先祖楠正成の名誉回復(逆賊指定の解除)のため正親町天皇の勅許を得てくれたのは久秀だったこと。それにより、正虎は以後、堂々と楠姓を名乗ったことなど。
大変勉強になりました。

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【2012/01/13 21:03】 | 新刊
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