歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞零細「さつま人国誌」第222回
―日新斎の娘、珍しい肖像画―

連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回は文化面がカラー頁になるのに合わせて掲載しました。
近世初期と思われる珍しい彩色の肖像画を紹介したかったためです。
この時代のもので、夫婦像で女性をきちんと描いた肖像画は鹿児島では非常に珍しいと思います。

この女性は御隅といいます。この時代の女性で名前が判明するのは珍しいです。ひとえに膨大な量がある「樺山文書」のおかげです。
彼女は日新斎こと島津忠良の二女です。玄佐こと樺山善久に嫁いだわけですが、日新斎の娘という家柄の高さゆえに、夫婦像で描かれたと思います。

この肖像画が描かれた時期については、私は門外漢なので何ともいえませんが、ひとつ手がかりになるのは、彼女の甥にあたる島津義久が彼女の死に際して書いた追悼文です(『旧記雑録後編二』713号)。
そのなかに、嫡男忠副が戦死したのをきっかけに彼女が出家し、「法華八軸」を朝夕読誦する毎日だったとあります。
どうやら、この肖像画は義久の追悼文をモチーフにして作成されたのではないかという気がしております。事実、肖像画にある御隅の膝元の脇息の上に巻物7巻が置かれ、彼女が開いている1巻と合わせると8巻あります。これが「法華八軸」だと思われ、偶然の一致とはいえない気がしています。
出家といえば、夫の樺山善久ももしかしたら御隅同様、嫡男忠副の死をきっかけに出家し、玄佐と号したかもしれません。

今回はこの貴重な肖像画を紹介したかったのと、御隅という女性を知ってもらいたいことが目的でした。
肖像画の彼女はおだやかで可愛い感じに描かれていますが、実際は15、6の頃、玄佐のもとに嫁ぐとき、乳母と3人だけで敵地を潜行し、馬に乗って玄佐の生別府城に入ったと『樺山玄佐自記』に書かれているほどで、日新斎の娘らしく、剛毅な女性でもあったようです。

今回の記事を書くにあたり、貴重な樺山家文書を閲覧・撮影させていただいたご当主の樺山久孝さんに厚く御礼申し上げます。
また、戦国期薩摩の女性のデータを信頼できる史料から収集・記録している「戦国島津女系図」のサイト主、ばんないさんにも御礼申し上げます。同サイトの記事が導きの糸になりました(とくに御隅出家の理由)。なお、同サイトはリンク先に登録されています。

追記
樺山さんにうかがったところによれば、史料のなかに島津家からの借用書が紛れ込んでおり、同家が借り出した史料は樺山家に返却されていないようです。それが何かといえば、おそらく島津家文書に収録されている「傳家亀鏡」などの樺山文書だろうと思います。借り出したのは明治になってから創設された東京・袖ヶ崎の島津家編輯所でしょうかね? 島津家文書は国宝に指定されてしまったので、元の持ち主に返ってくる可能性は少ないのでしょうね。

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【2012/01/23 16:44】 | さつま人国誌
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ばんない
こんばんは。

拙サイトのご紹介、誠にありがとうございました。こちらこそ御礼申し上げます。アクセス数もちょっと上がってきているようです(汗)

それにしても発色が鮮やかですね。

記事を拝見して、気になる点を。
1)御隅が頭巾?て言うのでしょうか、普通尼さんがかぶっている例の布をまとっていないのが珍しいです。初(京極高次夫人常高院)像やおね(ねね、豊臣秀吉夫人高台院)像はかぶってますし。
2)この肖像画、御隅の生年月日を明記した史料としても初出ではないかと思います。拙HPに書いた御隅の生年は史料に書いてある没年月日から没年を引いて逆算した物です。
3)他にも肖像があるとのことですが、戦国時代~安土桃山時代の当主の肖像は樺山善久だけでしょうか?
4)亀寿の肖像画紛失の謎については、「資料紹介 諸神社明細」(『尚古集成館紀要』3所収)をご参照下さい。

おまけですが
>史料のなかに島津家からの借用書が紛れ込んでおり、同家が借り出した史料は樺山家に返却されていないようです。
これは悪い話ですねえ(苦笑)そういう史料多そうですが…。

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コメント
この記事へのコメント
こんばんは。

拙サイトのご紹介、誠にありがとうございました。こちらこそ御礼申し上げます。アクセス数もちょっと上がってきているようです(汗)

それにしても発色が鮮やかですね。

記事を拝見して、気になる点を。
1)御隅が頭巾?て言うのでしょうか、普通尼さんがかぶっている例の布をまとっていないのが珍しいです。初(京極高次夫人常高院)像やおね(ねね、豊臣秀吉夫人高台院)像はかぶってますし。
2)この肖像画、御隅の生年月日を明記した史料としても初出ではないかと思います。拙HPに書いた御隅の生年は史料に書いてある没年月日から没年を引いて逆算した物です。
3)他にも肖像があるとのことですが、戦国時代~安土桃山時代の当主の肖像は樺山善久だけでしょうか?
4)亀寿の肖像画紛失の謎については、「資料紹介 諸神社明細」(『尚古集成館紀要』3所収)をご参照下さい。

おまけですが
>史料のなかに島津家からの借用書が紛れ込んでおり、同家が借り出した史料は樺山家に返却されていないようです。
これは悪い話ですねえ(苦笑)そういう史料多そうですが…。
2012/01/23(Mon) 21:59 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
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