歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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先日の兼見卿記輪読会。
金子拓さんよりいただきました。
御礼申し上げます。

「落合家所蔵の旗指物と「落合左平次道次背旗」」 『東京大学史料編纂所附属画像史料解析センター通信』56号、2012年1月

有名な磔刑像を意匠にした落合左平次の背旗。
その強烈な絵柄で有名です。
長篠合戦のとき、鳥居強右衛門の磔刑を意匠にしたといわれています。
これについては、逆さ磔説があり、論議を呼んでいましたが、結論が出たようです。
逆さか否かの決定的な証拠は、四半という旗指物の竿を通す乳と呼ばれる筒状の縫合部分が向かって左側と上側に付いていることです。その状態では絵柄は逆さにならず、通常の形になります。
なお、所蔵元の落合家には当該背旗のほか、4点の旗指物があり、いずれも磔刑の絵が描かれていますが、どれも絵柄が少しずつ違います。
ほかにも、この背旗の成立事情についての詳しい考察があります。
像主については鳥居強右衛門だと断定するのは慎重でありたいという記述にも留意したいものです。

また同誌には、

神田高士「ロシア国立軍事史博物館所在の子砲式後装砲について」

という別の論考も収録されており、個人的には非常に興味深く拝読しました。
同館所蔵の後装砲(有名な「国崩」と同様の仏郎機)が大友宗麟によってライセンス生産された、要は国産であることが明らかになったことです。
しかも、製造年代の上限が天正9年(1581)であるとのこと。つまり、信長の存命中です。
私はほぼ同時期に信長も仏郎機を製造したと考えているので、とても興味深く読みました。
もっとも、この後装砲はヨーロッパではすでに時代遅れだったようですね。

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【2012/02/05 19:26】 | 信長
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