歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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午後から武蔵野大学サテライトキャンパス(三鷹)に出講。

信長公記を読む」第5回講座。
今回のテーマは「五カ条の条書と足利義昭」。

有名な条書が出された理由や背景を検討。
条書の第5条「禁中の儀、御油断あるべからず」について、通説とは別に、禁裏大工惣官職の人事をめぐって正親町天皇と将軍義昭が対立しており、天皇が義昭の措置に怒って「くせ事」(曲事)と書いた女房奉書を発給したという一件があり、このことが条書にも反映しているのではないかと述べ、それについて少し詳しく検討した。

その関連史料として『御湯殿の上の日記』を読んだが、禁裏惣官職の人事にからんで「ふけ(武家)よりてうのはしめ(始め)をのへられ候」という一節を理解できなかったが、あとで受講生の方から、鍬始めのことではないかと指摘を受けて、なるほどと思った。この人事が正親町天皇と将軍義昭との間で紛糾しているため、禁裏御所修築の鍬始めが延期になったと解するのがおそらく妥当だと思われた。

もっとも、「てうのはしめ」の「てう」にどんな漢字をあてたらいいのかわからなったので、帰宅してから調べたら、「鍬」の音読みは「しゅう」だけでなく「しょう」もあった。「鍬の始め」でいいのでは。
ご指摘、感謝です。また受講生の方に教えられました。

終了後、同大学の別の講座(単発)の依頼あり。
どうやら秀吉の小田原城攻めがテーマになりそう。

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【2012/02/18 00:38】 | 武蔵野大学社会連携センター
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てうのはしめ
武江
桐野様
「釿(てうな)始め」という事はないでしょうか?
「譜略」などで、城郭造営の最初には、こちらが出て来ますが。


加木
御所修繕は建築=作事であった。土木=普請ではないから、「釿(てうな)始め」ではありませんか。

ご教示多謝
桐野
武江さん、加木さん

ご指摘有難うございます。

「手斧」は一応考えたのですが、「釿(てうな)」もあるのですね。
また、普請と作事の違いについても納得です。

釿始
武江
桐野様
こんばんは。
「ちょうな・の」が詰まったか、「ちょうな」を内裏で「ちょう」と呼んでいたか、と言う事でしょうか。
正解かは判りませんが、一応「譜略」の「東照大権現宮」の項の使用例をご紹介しておきます。

慶長七年壬寅
○二月朔日鎌倉鶴岡八幡宮建立釿始

慶長十五年庚戌
○閏二月尾州名護屋築城之儀諸大名エ被 仰付之
○六月三日名護屋釿始


事例紹介御礼
桐野
武江さん

有難うございます。

おそらく京言葉か女房言葉なんでしょうね。


釿始式
武江
桐野様
明けましておめでとうございます
こちらの記事から随分月日も経っていますので、既にご存知の事とは思いますが…。
例年1月5日に各地の神社で、「釿始式」が執り行われていて、京都の城南宮や山口の防府天満宮では、「釿始」は、ずばり「ちょうのはじめ」と読まれているそうです(「ちょんなはじめ」と読む地方もある由)。昨年の防府天満宮での式の様子を、ネットの日テレNEWS24で視る事ができます。ニュース記事では、「ておの→てうの→ちょうの」の転訛としていますが、「てうの」は「ちょうの」の旧仮名遣い表記ではないかと思います。「ておの→ちょうの(てうの)→ちょうな(てうな)」の転訛の途中が残ったという事でしょうか。あるいは、「ちょうの」が本来はスタンダードで、「ちょうな」は江戸辺りの方言だったものが、立場が逆転してしまったという事かも知れません。
「快元僧都記」の天文三年に、鶴岡八幡宮の再建の為に北条氏綱が呼び寄せた奈良大工の、現代の仕事始めに当る「木屋入」が正月五日だった事が記されています。これに対し鎌倉番匠は十一日に「依旧規木屋入」とあります。大工の仕事始めは畿内ルールが今に残ったようです。



ご教示御礼
桐野
「ちょうのはじめ」といういう行事がちゃんとあるのですね。
有難うございます。

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コメント
この記事へのコメント
てうのはしめ
桐野様
「釿(てうな)始め」という事はないでしょうか?
「譜略」などで、城郭造営の最初には、こちらが出て来ますが。
2012/02/18(Sat) 01:58 | URL  | 武江 #Hpwl6DqI[ 編集]
御所修繕は建築=作事であった。土木=普請ではないから、「釿(てうな)始め」ではありませんか。
2012/02/18(Sat) 05:57 | URL  | 加木 #jOGvZT7o[ 編集]
ご教示多謝
武江さん、加木さん

ご指摘有難うございます。

「手斧」は一応考えたのですが、「釿(てうな)」もあるのですね。
また、普請と作事の違いについても納得です。
2012/02/18(Sat) 18:35 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
釿始
桐野様
こんばんは。
「ちょうな・の」が詰まったか、「ちょうな」を内裏で「ちょう」と呼んでいたか、と言う事でしょうか。
正解かは判りませんが、一応「譜略」の「東照大権現宮」の項の使用例をご紹介しておきます。

慶長七年壬寅
○二月朔日鎌倉鶴岡八幡宮建立釿始

慶長十五年庚戌
○閏二月尾州名護屋築城之儀諸大名エ被 仰付之
○六月三日名護屋釿始
2012/02/18(Sat) 21:15 | URL  | 武江 #Hpwl6DqI[ 編集]
事例紹介御礼
武江さん

有難うございます。

おそらく京言葉か女房言葉なんでしょうね。
2012/02/19(Sun) 00:12 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
釿始式
桐野様
明けましておめでとうございます
こちらの記事から随分月日も経っていますので、既にご存知の事とは思いますが…。
例年1月5日に各地の神社で、「釿始式」が執り行われていて、京都の城南宮や山口の防府天満宮では、「釿始」は、ずばり「ちょうのはじめ」と読まれているそうです(「ちょんなはじめ」と読む地方もある由)。昨年の防府天満宮での式の様子を、ネットの日テレNEWS24で視る事ができます。ニュース記事では、「ておの→てうの→ちょうの」の転訛としていますが、「てうの」は「ちょうの」の旧仮名遣い表記ではないかと思います。「ておの→ちょうの(てうの)→ちょうな(てうな)」の転訛の途中が残ったという事でしょうか。あるいは、「ちょうの」が本来はスタンダードで、「ちょうな」は江戸辺りの方言だったものが、立場が逆転してしまったという事かも知れません。
「快元僧都記」の天文三年に、鶴岡八幡宮の再建の為に北条氏綱が呼び寄せた奈良大工の、現代の仕事始めに当る「木屋入」が正月五日だった事が記されています。これに対し鎌倉番匠は十一日に「依旧規木屋入」とあります。大工の仕事始めは畿内ルールが今に残ったようです。

2014/01/06(Mon) 20:50 | URL  | 武江 #Hpwl6DqI[ 編集]
ご教示御礼
「ちょうのはじめ」といういう行事がちゃんとあるのですね。
有難うございます。
2014/01/10(Fri) 19:11 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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