歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第225回
―古今伝授の歌人、自記残す―

本日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回は前回の続きで、樺山玄佐の歌人としての面を中心に書きました。
玄佐は天文20年(1551)に上洛を果たしています。記事にも書いたように、古今伝授が主な目的だったと思います。
しかし、目当てとした准后・近衛稙家は在京していませんでした。おそらく将軍義輝とともに近江坂本にいたと思われますが、さすがに坂本まで下向するわけにはいかなかったのでしょう。三好長慶との抗争に巻き込まれてしまい、在京もできなくなる可能性がありますから。
近衛稙家からの書状に京都で会えずに残念だった趣旨が書いてあるのがそのことを物語っていると思います。

在京できないほどの稙家でしたから、経済的にも窮乏していたと思われます。玄佐は古今伝授に対する謝礼として、稙家に金70両を贈っていることが確認できます。もっとも、そのうち20両は家宰の進藤氏の取次料だったようですが。

紙数の関係で書きませんでしたが、日新斎忠良の「いろは歌」を近衛稙家が添削したというのもおそらくこの時期で、玄佐が近衛家に持参した可能性もありますが、確認できませんでした。
この時期、一番頼りになる史料は山科言継の『言継卿記』なのですが、残念ながら同年分は一部しか残っておらず、玄佐が在京していた9月前後は記事がありません。

次回は先日このブログでも書いた鎌倉の源頼朝の供養墓について書こうかと思っています。

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【2012/02/20 21:15】 | さつま人国誌
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