歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

南日本新聞連載「さつま人国誌」第228回
―無宿人から山ヶ野金山へ―

本日連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回のタイトルですが、サイト記事(おそらく新聞記事も)に(上)が抜けています。原稿には(上)を付けていたのですが、校正の段階で私もうっかりしてました。したがって、次回が(下)です。

前回、忠臣蔵がらみで吉良上野介の長女が島津綱貴の後妻になった話を書きましたが、今回も忠臣蔵がらみといってもよいかもしれません。意図したものではなく、単なる偶然ですが。

以前から薩摩藩内には山ヶ野など金山が多いので、これを何とかこの連載で書けないかと思い、いろいろ調べているうち、鉱山史・貨幣史の大家として知られる小葉田淳氏の古い論文「金山と流人―山ヶ野金山流人証文留を中心に―」(『古文書研究』7・8号、1975)を見つけ、都の錦についての記述があるのを知ったことが執筆のきっかけです。

「都の錦」というペンネームの浮世草子作者。近世国文学に通じた方でないと知らない人物かもしれません。
京・大坂で生まれ育ち、浮世草子作家として名を挙げだしたのに、江戸に出て無宿人となり、薩摩藩領の大隅国山ヶ野金山に遠流されるという波瀾の生涯を送った人物です。
今回の(上)はここまでですが、まだ続きがあります。

都の錦は山ヶ野金山で流人たちのいじめに遭い、それに耐えかねてついに脱走します。そして肥薩国境の関所で見つかって捕縛され、今度は南薩の鹿籠(かご)金山に送り込まれます。
流人として金山での苛酷な労役をしながら、文筆活動も行い、『播磨椙原』『捨小舟』など、やはり忠臣蔵関連の作品を著しています。これは原本が現存し、鹿籠金山があった枕崎市の文化財に指定されています。

二度の金山送りも耐え抜き、幸運にも赦免となり、さらに文筆活動を続けたようです。もっとも、没年とその場所は不明のようです。

このような浮き沈みの激しい人物で、しかも、逆境や苛酷な環境に耐え抜いた強靱な精神力には脱帽させられます。専門外でしたが、ぜひ取り上げてみたい人物でした。
次回は鹿籠金山での出来事を中心に書きます。お楽しみに。

↓↓↓ぜひ下記をクリックして下さいね↓↓↓
人気ブログランキング
スポンサーサイト

【2012/03/19 16:30】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。