歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

南日本新聞連載「さつま人国誌」第229回
―逃亡から鹿籠金山へ、赦免―

連載が本日更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回は前回の続きで、謎の浮世草子作者・都の錦のその後です。
彼は山ヶ野金山を脱走したのち捕縛され、今度は南薩の鹿籠(かご)金山に送られます。現在の枕崎市です。
その後、4年間ほどの服役の末、赦免されたと思われる。

彼には2度の幸運が訪れた。
1度目は、山ヶ野金山を脱走して捕縛され、牢獄で取調の名の下、そのまま衰弱死してもおかしくなかったのに、藩主島津吉貴の襲封による恩赦で、鹿籠金山送りとなった。
そして鹿籠金山でも、将軍家宣の就任に伴う恩赦で赦免されることになったようである。
彼が『捨小舟』『播磨椙原』という作品を残せたのも、ひとえにこの2度の幸運の賜物である。

まことに波瀾万丈の面白く、かつ謎めいた人物である。

都の錦については、ほかに『武家不断枕』(読みは確認できないが、「ぶけふだんちん」か)という作品があり、その写本に奇妙なことが書かれているので、続編として取り上げてみたい。
もっとも、掲載写真の関係で次回になるかは微妙。
次回、これが無理なら、敷根火薬庫を書く予定。

↓↓↓ぜひ下記をクリックして下さいね↓↓↓
人気ブログランキング
スポンサーサイト

【2012/03/26 17:46】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |

都の錦興味深いです。
NAO4@吟遊詩人
桐野先生御無沙汰いたしております。

赦免されたと考えられる1709年に、都の錦は34歳(満)ということは、まだ若そうですね。

するとまだまだ何か書いているような気がしますが、何か作品が出てくると面白そうですね。

コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
都の錦興味深いです。
桐野先生御無沙汰いたしております。

赦免されたと考えられる1709年に、都の錦は34歳(満)ということは、まだ若そうですね。

するとまだまだ何か書いているような気がしますが、何か作品が出てくると面白そうですね。
2012/03/27(Tue) 00:52 | URL  | NAO4@吟遊詩人 #laIirjiw[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。