歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

昨日、久しぶりに甲東研究会が新宿で開かれた。
甲東は、大久保利通の雅号である。大久保の事績を研究する会として一昨年に発足した。

今回の報告者は、吉田敦氏(桜美林大学非常勤講師)。
テーマは「殖産興業の経済思想から見た大久保利通」である。

主に計量統計学からのアプローチである。
歴史系の人間には統計学と聞いただけでチンプンカンプンだが、計算方法はともかく、その結果と意味合いは非常によくわかった。数字で示されると、異論が混じる余地がないほどクリアな結論が得られるようだ。

その統計は何かいうと、大久保の内務卿時代である明治9~11年に作成された「全国農産表」という統計データを素材にしたものである。
そのなかで、関東90郡のデータをもとに、①米価、②一人あたり米生産高、③一人あたり蚕糸生産額を示したもので、米価は群馬県など西関東で高く(米の生産高が少なく、養蚕業で豊かであるため)、千葉・茨城など東関東で米価が安い(米の生産高が多く、養蚕がほとんどない)という傾向が見事に検出された。
関東だけを例にとっても、地域的な偏差があることがよくわかった。

大久保が主導して作成されたこの「農産表」は、統計学の見地からみると、データ的に精粗があって使いづらいけれど、明治初年にこれだけの全国的データがまとまってあることは非常に貴重で、もっと活用すべきだという意見には、なるほどと思った。

また、大久保がなぜこのような全国データを作成させたかといえば、明治初年の殖産興業路線が、欧米から大工場施設を移植しただけで、わが国の工業化が実現できるかのごとく、現実を無視したやり方で失敗した先例をみて、やはり地域の実情に応じて、産業を興すことが大事であるという考え方になったことが大きいとのこと。大久保が政府に提出した殖産興業の建白書にも、その点が強調されていた。

そのためには、地域の実情把握が基本であり、このようなデータが作成されたわけである。それも欧米式の新規産業だけでなく、伝統産業(養蚕など)にも着目して、輸出を増やす努力をしたという指摘が興味深かった。

殖産興業の建白書にもあるように、人民の富を増やす民政の発展が国力充実につながるという大久保の考え方が貫かれ、しかもそれを具体的に政策化していたことに重要な意義があるというのが、報告の概要だったように思われる。

とにかく、歴史系と異なる方法論を開示されて、物珍しさもあったが、とても面白かった。

大久保の殖産興業による「富国」路線が、むしろ「強兵」路線(その推進者は西郷隆盛)と矛盾する面があること(それが征韓論の対立の背景にあるだろう)は、先日紹介した坂野潤治『未完の明治維新』(ちくま新書)でも指摘されていた。
また坂野氏は大久保が横井小楠のよき後継者であり、横井の「富国論」を実際に国政レベルで政策化したものだと指摘している。

大久保と横井の親近さといえば、三谷博氏もまた指摘していた(『明治維新を考える』有志舎)。もっとも、三谷氏は殖産興業路線のほうではなく、「公論」や「公議」についての考え方の共通性を取り上げていた。

大久保と横井の一般的評価からすれば、お互いかなり遠い立ち位置のようにも見えるが、不思議と通底し合っているこの親密さはなにゆえだろうか。近年、その点を指摘する研究者が増えていることは、大久保評価の新たな視角を提供しているようにも思える。
スポンサーサイト

【2007/04/12 11:01】 | 幕末維新
トラックバック(0) |


水戸っぽ
大久保が横井の後継者であるという評価は確かに「意外」(より肯定的な表現でいえば「新鮮」)な感がありますが、それが(政治ではなく)経済面に限定されたものと考えれば一転して諒解可能となり腑に落ちました。即ち横井の経済思想・経済政策を大久保が独自の手法で実践した、と。「民富」のためには「民権」は抑制(あるいは後回し)という一種の開発独裁の表現型とでもいうべきか。我が国も含めたアジアにおいては、「近代化」は往々にしてこのような形で進展・実現する一方、政治のほう(の近代化)については今日に至っても永遠の課題であるというのが何とも宿命的です。そうした意味でも、横井のような知性が当時の日本に出現し得た意義は今こそ問われるべきでは、と痛感した次第です。
勝海舟が、横井の思想を西郷の手で実践させたいという趣旨のことをいっていますが、実際はそれが大久保だったというのは面白いですね。

開発独裁か
桐野
水戸っぽさん、お久しぶりです。

大久保についての貴重なご意見有難うございます。
わが国の近代化の実験はたしかに開発独裁の一典型で、アジア諸国の先例になったという評価がありますね。
一般的には、大久保に限らず、薩長藩閥政府から昭和の軍部まで、開発独裁といえないことはないと思います。

もっとも、大久保に関しては、「有司専制」とか「開発独裁」とは別の見方をしようという近年の研究動向がありますね。

「有司専制」にしても、板垣ら在野の民権派が民撰議院設立を正当化するための戦術だったという見方もあり、内務卿時代の大久保を「独裁」というにはあたらないと指摘する研究者もおります。

たとえば、佐々木克氏などは、台湾出兵が、大久保が佐賀の乱鎮圧のため東京を留守にしている間に決定されたと指摘しています。そして、長崎に台湾征討司令官に任命された西郷従道が立ち寄ったので、大久保が何とか引き止めようとしましたが、従道は東京での決定事項だからと、大久保を振りきって出航してしまったという事例を挙げています。つまり、台湾出兵という重大な対外政策が大久保抜きで決められたわけです。大久保「独裁」は実態に即していないと評される所以でもあります。

前述の三谷博氏などはさらに踏み込んで、明治八年の大阪会議以降、大久保は長州の木戸や土佐の板垣と連携して、西郷包囲網を築く一方、ついに立憲政体導入に賛成したと指摘しています。

これに岩倉具視は抗議して辞意を表明しますが、大久保は盟友岩倉の反対を無視して、立憲政体の確立に踏み込みました。大久保は王政復古、征韓論で肝胆相照らす仲となった岩倉まで切り捨てたのです。
しかし、立憲政体を具体化しようとしていたそのとば口で暗殺されたため、その時期の大久保の実像が見えにくくなっているのではないでしょうか。

立憲政体といっても、実質は立憲君主制ですが、それでも曲がりなりにも憲法制定をやろうというのですから、それを「開発独裁」一般に含めていいかどうか議論があるところでしょうね。


コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
大久保が横井の後継者であるという評価は確かに「意外」(より肯定的な表現でいえば「新鮮」)な感がありますが、それが(政治ではなく)経済面に限定されたものと考えれば一転して諒解可能となり腑に落ちました。即ち横井の経済思想・経済政策を大久保が独自の手法で実践した、と。「民富」のためには「民権」は抑制(あるいは後回し)という一種の開発独裁の表現型とでもいうべきか。我が国も含めたアジアにおいては、「近代化」は往々にしてこのような形で進展・実現する一方、政治のほう(の近代化)については今日に至っても永遠の課題であるというのが何とも宿命的です。そうした意味でも、横井のような知性が当時の日本に出現し得た意義は今こそ問われるべきでは、と痛感した次第です。
勝海舟が、横井の思想を西郷の手で実践させたいという趣旨のことをいっていますが、実際はそれが大久保だったというのは面白いですね。
2007/04/12(Thu) 14:30 | URL  | 水戸っぽ #-[ 編集]
開発独裁か
水戸っぽさん、お久しぶりです。

大久保についての貴重なご意見有難うございます。
わが国の近代化の実験はたしかに開発独裁の一典型で、アジア諸国の先例になったという評価がありますね。
一般的には、大久保に限らず、薩長藩閥政府から昭和の軍部まで、開発独裁といえないことはないと思います。

もっとも、大久保に関しては、「有司専制」とか「開発独裁」とは別の見方をしようという近年の研究動向がありますね。

「有司専制」にしても、板垣ら在野の民権派が民撰議院設立を正当化するための戦術だったという見方もあり、内務卿時代の大久保を「独裁」というにはあたらないと指摘する研究者もおります。

たとえば、佐々木克氏などは、台湾出兵が、大久保が佐賀の乱鎮圧のため東京を留守にしている間に決定されたと指摘しています。そして、長崎に台湾征討司令官に任命された西郷従道が立ち寄ったので、大久保が何とか引き止めようとしましたが、従道は東京での決定事項だからと、大久保を振りきって出航してしまったという事例を挙げています。つまり、台湾出兵という重大な対外政策が大久保抜きで決められたわけです。大久保「独裁」は実態に即していないと評される所以でもあります。

前述の三谷博氏などはさらに踏み込んで、明治八年の大阪会議以降、大久保は長州の木戸や土佐の板垣と連携して、西郷包囲網を築く一方、ついに立憲政体導入に賛成したと指摘しています。

これに岩倉具視は抗議して辞意を表明しますが、大久保は盟友岩倉の反対を無視して、立憲政体の確立に踏み込みました。大久保は王政復古、征韓論で肝胆相照らす仲となった岩倉まで切り捨てたのです。
しかし、立憲政体を具体化しようとしていたそのとば口で暗殺されたため、その時期の大久保の実像が見えにくくなっているのではないでしょうか。

立憲政体といっても、実質は立憲君主制ですが、それでも曲がりなりにも憲法制定をやろうというのですから、それを「開発独裁」一般に含めていいかどうか議論があるところでしょうね。
2007/04/12(Thu) 21:27 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。