歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第231回
―西南戦争で破壊、炎上―

本日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

敷根火薬製造所は以前から注目していて、尚古集成館の田村省三館長からも遺構の現状を教えてもらったこともあり、行ってみたいと念願していましたが、ようやく今年2月、現地を訪れることができました。
現地に行ってみて、左右の山に抱かれた目立たない地形にあり、とくに海上からは見えないことがわかりました。

近くの高橋川から水を引き込んだ水車の跡やその周辺に石積みなどが残っていました。あとから『国分郷土誌』を見たら、林の中に石臼などがかなり残っていることがわかりましたが、それには気づかずに残念でした。

主に『薩藩海軍史』が基本史料になりますが、地方の諸郷に多数の作土木屋(「さくどこや」と読むか)をつくって硝石原料を生成し、それを谷山の作硝所に集めて硝石に精製したうえで、敷根や滝ノ上の火薬製造所に搬入するという一連の製造システムができていたことがわかりました。

また西南戦争で破壊されたことは承知していましたが、てっきり艦砲射撃によるものだと思い込んでいました。でも、海上からは見えない場所にあり、それは不可能だとわかりましたし、西南戦争での海軍省の記録『西南征討志』に、軍艦春日の兵員による上陸作戦で破壊されたことが書かれていました。
熊本に主力がいる西郷軍不在のすきに、その弾薬補給源を破壊するという政府軍側の合理的な作戦が成功したことになります。

皮肉なことに、そのときの政府艦隊の司令官は薩摩出身の伊東祐麿、そして敷根に派遣されたのはこれまた薩摩藩が所有していた有名な軍艦春日でした。春日は戊辰戦争のとき、おそらく敷根で製造された火薬を使用していたのではないかと思われます。
明治政府側の薩摩勢力によって破壊される憂き目に遭ったのですから、悲運といえば悲運ですね。

次回は、寺田屋事件150年にちなんだ記事にしようと思っています。

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【2012/04/16 19:12】 | さつま人国誌
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