歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第232回
―長州巻き込む一大争闘―

本日、連載が更新されました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

新暦と旧暦の違いがありますが、ちょうど150年前の4月23日夜、伏見寺田屋で一大事件が勃発しました。
ご存じの寺田屋事件です。

150年という節目を記念して、もう一度この事件の意味を考えてみようということで書いてみました。
紙数の関係であまり展開できなかったのですが、従来の抗命に対する上意討ちという通説から、現在はいろいろな見方があることを紹介しました。
とくに友人の研究者、町田明広さんが長州藩が事件の背後にいたことを明らかにしたことは注目すべき見解だと思います。

次回は前々回でも少し登場した薩摩藩の軍艦春日とその船長だった赤塚源六について書く予定です。

↓↓↓ぜひ下記をクリックして下さいね↓↓↓
人気ブログランキング
スポンサーサイト

【2012/04/23 18:36】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |

有馬さあ
サキピー
数年前帰省した折、伊集院の有馬新七墓所にお参りしたことがあります。有馬ら精忠組「突出派」が壮絶な最期を遂げた現場に行かねばと思い、伏見寺田屋にも行きました。係の方のまるで見てきたような臨場感たっぷりの説明を聞きながら室内にある当時の刀傷などを見て戦慄しました。龍馬の事件で世間に知られた場所ですが、幕末動乱の歴史の中、仲間同士で殺し合いをやらねばならなかった凄惨な事件を鹿児島県人として忘れてはならないと思いました。維新まで生きながらえていたらと彼らのことを思います。

それにしても寺田屋の建物は明治になって再建されたものだと最近知りました。えっ、あの室内の刀傷って...!

再建寺田屋
桐野作人
サキピーさん

コメント有難うございます。
現在の寺田屋は再建されています。ですから、私も写真はそれではなく、大黒寺の墓石にしました(こちらも墓標部分は新しくなっていますが)。

寺田屋は鳥羽伏見の戦いで焼けています。それは現・寺田屋の庭にある寺田屋事件の大きな石碑にも書かれています。
寺田屋がなぜ再建されるに至ったのか。それは忘れ去られていた坂本龍馬の復活と密接に関係していますが、再建のいきさつを詳しく述べたのが、

中村武生『京都の江戸時代をあるく』 文理閣 2008年

です。よかったら、ご参照下さい。



コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
有馬さあ
数年前帰省した折、伊集院の有馬新七墓所にお参りしたことがあります。有馬ら精忠組「突出派」が壮絶な最期を遂げた現場に行かねばと思い、伏見寺田屋にも行きました。係の方のまるで見てきたような臨場感たっぷりの説明を聞きながら室内にある当時の刀傷などを見て戦慄しました。龍馬の事件で世間に知られた場所ですが、幕末動乱の歴史の中、仲間同士で殺し合いをやらねばならなかった凄惨な事件を鹿児島県人として忘れてはならないと思いました。維新まで生きながらえていたらと彼らのことを思います。

それにしても寺田屋の建物は明治になって再建されたものだと最近知りました。えっ、あの室内の刀傷って...!
2012/05/18(Fri) 23:01 | URL  | サキピー #O5mp8qzk[ 編集]
再建寺田屋
サキピーさん

コメント有難うございます。
現在の寺田屋は再建されています。ですから、私も写真はそれではなく、大黒寺の墓石にしました(こちらも墓標部分は新しくなっていますが)。

寺田屋は鳥羽伏見の戦いで焼けています。それは現・寺田屋の庭にある寺田屋事件の大きな石碑にも書かれています。
寺田屋がなぜ再建されるに至ったのか。それは忘れ去られていた坂本龍馬の復活と密接に関係していますが、再建のいきさつを詳しく述べたのが、

中村武生『京都の江戸時代をあるく』 文理閣 2008年

です。よかったら、ご参照下さい。

2012/05/19(Sat) 07:03 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック