歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
昨日、埼玉県行田市の忍城などに行ってきました。
久しぶりの好天で暑く、すっかり日焼けしました。

忍城は成田氏の城で、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めに伴い、石田三成をはじめとする豊臣軍に攻められます。忍城は水攻めにされたことでも有名です。
その痕跡を探しに、友人のIさんと行きました。
午前9時過ぎ、行田駅前でレンタサイクルを借りようとすると、すでに1台を残してなくなっており、しかたなくタクシーを使って行田市郷土博物館に行きました。

同館は忍城跡にあり、現在、模擬天守が建っています。
まず、情報収集をする。受付に『行田市史』近世編、近現代編が並んでいたので、忍城攻めの史料があるはずの中世編を買おうとしたら、まだ未刊との由で残念。おそらく古代中世編という形で編纂されており、さきたま古墳群があるので刊行に手間取っているのかと憶測。
館内では忍城、とくに近世の忍城の展示を見学。
忍城模擬天守

同館でレンタサイクルを借りて、次に石田三成が本陣を置いたとされる丸墓山古墳に行きました。
この古墳はさきたま古墳群の一角にある。
古墳はほとんど前方後円墳だが、これだけは円墳。円墳ではわが国最大の大きさだという。
丸墓山古墳

頂上まで登ると、360度視界が開け、忍城の模擬天守も遠望された(写真中央奥)。ここに石田三成や浅野長吉などが立ったのかと感慨に浸る。
丸墓山古墳からの眺望

隣には有名な稲荷山古墳の雄姿が見える。
「ワカタケル」こと、雄略天皇の名を刻んだ鉄剣が発掘されたことでも有名。
稲荷山

その後、石田堤を探しに行く。石田堤は忍城水攻めのときに築かれた土堤の一部が現存しているもの。城の南方にある。
途中、道を間違えたりして、ようやく当該場所付近にたどり着いたが、なかなか見つからない。現在、史跡公園になっているというので、それらしき場所を探したが、見当たらない。
地元の人に尋ねたりして、ようやくたどり着いたが、何と、最初に来た場所だった。史跡公園というよりも駐車場か児童公園という感じ。
すぐ近くに土堤がつづいている。全長200メートルほど断続的に遺っていた。高いところは4メートル近くはありそうだった。
また上越新幹線の高架下には、土堤の断面を示してあった。土堤の断面をそのまま保存し、地層の重なり具合を原寸大でボードに示してあった。
石田堤案内板
石田堤
石田堤断面

秀吉のいくつかの水攻めのうち、忍城攻めは最大規模のものである。忍城は行田市だが、石田堤は隣接する鴻巣市にある。その規模の大きさがわかる。
レンタサイクルでめぐってみて、お尻が痛くなるほど、それを実感できた。

心残りは行田名物のゼリーフライを食べられなかったこと。残念。

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【2012/05/06 09:46】 | 歴史紀行
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