歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第234回
―薩摩藩待望の超高速船―

本日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回は知られざる海軍軍人の赤塚源六と彼が艦長をつとめた軍艦春日について書きました。
以前、鹿児島市の南林寺由緒墓地を訪れたとき、彼の墓を見つけたので、いつか書けたらと思っていました。
彼は同艦の艦長として、阿波沖海戦、北越戦争、宮古湾海戦、箱館戦争とわずか1年ほどの間に主要な海戦をほとんど経験しています。
とくに阿波沖海戦では、幕府海軍が誇る開陽丸とほぼ互角に戦っています。

赤塚は東郷平八郎など部下と一緒に撮影した貴重な集合写真が残っています。次回はそれを掲載できればと思っています。

彼は惜しくも明治初年に他界しています。もしその後も健在だったなら、明治海軍の重鎮になったことは間違いないと思われます。

次回は阿波沖海戦を中心に書く予定です。

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【2012/05/14 21:39】 | さつま人国誌
トラックバック(1) |

有難うございました。
中村太郎
お陰さまで、神風連資料館で図録を買い、種田政明の写真が見られました。種田邸跡、徳富記念館も行き、時間的に無理だと思っていた花岡山へも行くことができ、官軍墓地、薩軍砲座の跡も見学できました。
今回、南林寺由緒墓地も行ったのですが、美玉三平のお墓はわかったものの、赤塚源六のお墓には気がつきませんでした。桐野様の記事より前に帰京したので、仕方ないのですが、残念です。

赤塚源六の墓
桐野作人
中村太郎さん

熊本や鹿児島に行かれたのですね。

赤塚源六の墓は実名の赤塚真成の名で彫ってあるので気づきにくかったのかもしれません。

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コメント
この記事へのコメント
有難うございました。
お陰さまで、神風連資料館で図録を買い、種田政明の写真が見られました。種田邸跡、徳富記念館も行き、時間的に無理だと思っていた花岡山へも行くことができ、官軍墓地、薩軍砲座の跡も見学できました。
今回、南林寺由緒墓地も行ったのですが、美玉三平のお墓はわかったものの、赤塚源六のお墓には気がつきませんでした。桐野様の記事より前に帰京したので、仕方ないのですが、残念です。
2012/05/21(Mon) 21:31 | URL  | 中村太郎 #-[ 編集]
赤塚源六の墓
中村太郎さん

熊本や鹿児島に行かれたのですね。

赤塚源六の墓は実名の赤塚真成の名で彫ってあるので気づきにくかったのかもしれません。
2012/05/23(Wed) 11:09 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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2012/05/15(Tue) 01:58:44 |  まとめwoネタ速neo
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