歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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元帥公爵大山巌

最近、また古書買いの病が膏肓に入っている(笑)。

表題の本もそのひとつ。
一部コピーは持っていたが、古書はなかなかの値段だったから、手を出さずにいた。今回、たまたま直感が働いたこともあって、値段は度外視してひらめきで購入。

それがまんまと当たった。
この間、西郷隆盛の京都屋敷の所在地を探していたが、本書に大きなヒントがあった。さっそく先日の上洛のときにあたりを視察してきた。大山は幕末維新期、西郷のボディガードをしていて終始そば近くにいたから間違いないと思う。ちなみに、大久保の警固は西郷従道だった。

本書は日露戦勝30周年を記念して刊行されたもので、史料蒐集も念入りに行われている。序によれば、宮内省・陸軍省などの諸官衙、満鉄、島津公爵家はじめ、元帥の部下などの史料・証言も集められている。
執筆者が誰なのか不明だが、史料蒐集に努力したという猪谷宗五郎氏か。

個人的には、大山巌の明治時代はさほど興味がない。それが購入を躊躇した理由だったが、幕末維新期については、西郷・大久保そして大山が生まれ育った下加治屋町の方限が詳細に復元されていて、70数軒のほとんどすべての所帯がわかる地図が付いている。おそらく本書だけではないかと思う。これは薩摩の維新史を考えるうえで貴重な仕事だろう。

大山といえば、日露戦争における満洲軍総司令官が生涯の絶頂期だから、それについて多くの分量が割かれているのは当然だが、それ以外のエピソードもいくつか掲載されている。主だったものでも、

○寺田屋事件への参加
○薩英戦争と決死隊
○戊辰戦争と大山率いる砲隊
○「君が代」選定の経緯
○西南戦争中、敵味方に分かれた大山と村田新八の戦場での往復書簡

また「兵器に関する貢献」という一章がとくに設けられ、弥介砲をはじめ、大山が関わった諸兵器について詳しく書かれているのも興味深い。大山の本質は技術テクノクラートにあったといえそうだ。

追記:
大山元帥といえば、幼少の頃の不思議な思い出がある。
子どもの頃、熱を出したり風邪を引いたりしたら、近所の医院によく連れていかれた。そこは年老いた医者が一人、そしてかなり高齢の看護士が一人いるだけの小さな医院だったが、建物もまた年季モノだった。たしかレンガ造りだったような記憶が……。
そこの待合室で先生に呼ばれるのを待っているのだが、その時間がすごく長く感じられ、とても恐かった覚えがある。子どもだから医者が嫌い、注射が嫌いというのではなく、古ぼけて薄暗い待合室の一種おどろおどろしい雰囲気が恐くて、病気のことも忘れそうだった。

その不気味な雰囲気を醸し出している最大のものが、壁にかけられていた一幅の油絵だった。
それが、大山元帥の奉天入城の有名な絵である。
鹿子木孟郎が描いた絵で、真ん中の馬上で敬礼している軍人が大山巌だと知ったのはもちろんだいぶあとになってからである。
この絵です。

おそらく複製だったはずだが、この絵に上から監視されている気がして、なぜかとても恐かった覚えがある。一種独特の色づかいのせいだろうか。
本書にもむろんこの絵は口絵として収録されている。しかし、モノクロだし、すでに大人だから、子どもの頃に感じた威圧感はまったくない(笑)。
ともあれ、私にとっての大山巌の原体験といえば、この絵に尽きるのだ。

元帥公爵大山巌
非売品
編者:大山元帥伝編纂委員 代表者 尾野実信
発行:大山元帥伝刊行会
発行年:1935年

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【2007/04/20 10:31】 | 古書
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寺田屋の絵
まいたけ
 まいたけです。

 この本、3万5千円以上もする本なのですね。
 でも、値段分の価値がありそうでよかったですね。

 うろ覚えなのですが、黎明館に、大山巌が描いた寺田屋の絵がありませんでしたか? 「激動の明治維新展」で見た記憶があるのですが、、、

>寺田屋事件への参加

 ここに、その絵も掲載されているのでしょうか?
 

追悼和歌なら
桐野
まいたけさん、どうも。

黎明館のあのときの展示、大山の絵は記憶にないのですが。もともと記憶力が悪いので申し訳ありません。

『元帥公爵大山巌』の寺田屋事件関連のなかにも、その絵は出てきません。冒頭の口絵にもありませんね。

明治24年(1891)、有馬新七らに贈位があったとき、大山はわざわざ伏見の大黒寺を訪れて、追悼の一首を手向けています。その一首の写真版はありますが……。

二つなき身もふりすてし真こゝろは
 雲の上まてあらはれにけり

ただ、序文によれば、大山家には自筆日記、自叙伝、往復書簡など多くの資料がまだ所蔵されており、逐次刊行されるであろうと描かれていますが、その後、公刊された形跡はありませんね。日記がいつ頃のものなのか、往復書簡には誰からのものがあるのか興味が尽きませんが。これらの資料の中にその絵も含まれているかもしれませんね。

お答えになっていなくてすみません。




まいたけ
 まいたけです。

 いろいろお調べいただき、ありがとうございました。

 『激動の明治維新展』の図録を開いてみました。
  図録を調べてから、先のコメントを書くべきでしたね。

 寺田屋事件に関して、寺田屋の絵と、「大山」まではよかったのですが、記憶というものは、あてにはなりませんね(冷汗)
 寺田屋の絵というのは、正しくは、「寺田屋事件見取り図」といい、是枝柳右衛門が記したものでした。鹿児島市維新ふるさと館が所蔵しているようです。
 それから、「大山」というのは、大山違いでして、上記の絵とともに、寺田屋事件の顛末を記した大山綱良日誌が展示されていました。わたしは、展覧会会場で見学したふたつの展示品を混同していたようでした。ちなみに、大山綱良日誌は、黎明館が所蔵しているようです。
 黎明館の『研究紀要報告・補説』(1984)に、塩満郁夫「大山綱良日誌と獄中からの遺言状」という論文が掲載されているようなので、ちょっと読んでみたい気もします。
 
 それから、大山巌の史料は、国立国会図書館に所蔵されているようですよ。
 http://www.ndl.go.jp/jp/data/theme/constitutional/data/o.html#oyama-iwa
 ここに、「日記、書翰」とありますので、そのことではないでしょうか。

是枝柳右衛門
桐野
まいたけさん、こんにちは。

是枝柳右衛門は非武士身分の有志で、田中河内介ら藩外の尊攘派と交流があった人ですね。
寺田屋事件に参加したために、たしか屋久島に流罪となり、そのまま現地で亡くなったと思います。
彼の伝記もあって、一応もっています。

黒木弥千代『幕末志士 是枝柳右衛門』 是枝翁顕彰会 1963年

でも、同書にも寺田屋見取り図は掲載されていません。

大山綱良の論文は、私も入手しようとしていて後回しになっておりました。そのうち手に入れてみます。

大山巌の史料、憲政資料室ですね。おそらくそうだろうと思っておりました。

いろいろご教示有難うございます。

是枝柳右衛門と大山巌
まいたけ

 こんにちは。
 まだ、大山巌と寺田屋にこだわっている(笑)まいたけです。

 是枝は、屋久島で死亡していましたか。可哀想な人ですね。元治元年10月13日没。寺田屋事件が文久2年ですから、「寺田屋事件見取り図」は、その2年間に書かれたものということになりますね。
 再度、『激動の明治維新』展の図録を見てみると、「寺田屋事件見取り図」は、16.0cm×360.0cmという大きさでした。
3.6メートルもの長さの資料でしたら、見取り図だけではなく、手紙か報告書も含まれているものと思います。見取り図でない部分は、もしかすると、桐野さんがご所蔵の是枝の伝記に掲載されているかもしれませんね。
 この「寺田屋見取り図」は、有馬新七の伝記にも掲載されているようで、この部分だけがクローズアップされてしまってるようですね。本来は、別の資料名かもしれません。

 それから、大山巌と寺田屋の関係ですが、坂本龍馬が寺田屋で襲われた時、身を隠していた材木小屋まで船で救いに来たのが、大山巌の兄でした。その関係もあってか、坂本龍馬の四十年祭には、大山巌が薩摩藩を代表して参列し、その時、大山が朗読した祭文には、「坂本君の寺田屋に寓するや一夕突然兇徒の乱入に逢ひ格闘瘡を蒙る時に予が亡兄彦八伏見の藩邸に在り依て君を迎へ之を保護せり」と書いてありました。
 また、大山巌は、寺田屋お登勢の娘の縁談の世話までしていたようです。
 寺田屋と大山巌は、かなり懇意にしていたようですね。
 
 大山巌の関係文書に、寺田屋一族からの手紙などないでしょうかね?

有馬新七伝記から
桐野
まいたけさん、どうも。

黎明館の図録「激動の明治維新」掲載の寺田屋見取り図を見ました。幅が3.6メートルもあるんですね。ということは、図録写真はほんの一部だけということでしょうか。

是枝柳右衛門の伝記にも、有馬新七の伝記『有馬新七先生伝記及遺稿』にも、この見取り図は掲載されていません。後者のほうは昭和初期の古い本で、口絵部分のところが切れているので、もしかしたら口絵部分に見取り図があったのに、失われている可能性もありますが……。

ただ、有馬の伝記の口絵に有馬の遺墨があり、それに後輩の樺山資紀が有馬の真筆であることを証明する一筆をしたためています。
その解説によれば、この遺墨は伏見の寺田屋が所蔵していたのを手放されそうだったので、それを見た樺山が買い求めて京都府立図書館に寄贈したものとか。刊行当時でも同館所蔵だそうです。現在は京都府立総合資料館あたりが所蔵しているかもしれませんね。

樺山がこの遺墨を見たのは明治30年夏だそうで、感激した樺山は寺田屋主人の求めに応じて「誠の栞」と題して次のように一筆書いたそうです。

「亡き我先輩有馬新七ぬしの誌されし誠のいたく心に染みて覚へしが寺田屋伊助の乞ひにまかせてしるし与へぬ」

大山巌は寺田屋事件がきっかけで、その後も寺田屋と交流があったようですね。兄彦八と龍馬の縁もありますし。 

有馬の遺墨
まいたけ
 おっしゃるように、図録写真にある寺田屋の見取り図は、展示を見たときの記憶では40~50cm程度の幅だったと思いますので、寺田屋の見取り図以外のところが、とても気になります。本当は、下手な寺田屋の見取り図より、それ以外のところの方が大切なような気がするのはわたしだけでしょうか?どんなことが書かれていたのか、徳之島にお電話する際、ちょっと聞いてみてください。お願いします。

 有馬新七の伝記は数点あるようなので、もしかしたら、違う本なのかもしれませんね。西京の先生から伺った話なので、来月お聞きしてみます。
 
 ところで、有馬の遺墨ですが、おっしゃるように京都府立総合資料館に所蔵されているようです。『坂本龍馬全集』増補改訂版(宮地佐一郎著)の後記に、「寺田屋文書」の解説と共に、同文書が所蔵されている京都府立総合資料館に所蔵されている寺田屋関係の資料名が書かれていますが、大正6年の寺田屋旧蔵として登録されている資料に、「有馬新七墨蹟一軸」が挙げられていました。おそらく、この軸のことでしょうね。

 樺山云々の解説のところ、とても興味があります!古文書塾のときでもよいので、是非とも見せていただけないでしょうか?お願いします。
 
 

別の伝記かも
桐野
まいたけさん、どうも。

有馬新七の伝記は手持ちのもので足りると思っていたのですが、まいたけさんのご指摘のように、いろいろあるようなので、気になって調べましたが、次のものかもしれません。

有馬正義先生遺文
久保田収
芸林会
1970年

通称の「新七」だけでなく、実名の「正義」でも検索してみたら、ありました。
なかなかの古書価格からして(笑)、これに寺田屋見取り図が掲載されているのかもしれません。
悔しかったので、注文しました(爆)。




木村 泰一郞
○訪ふ。
○いくらで御求めになったか(元帥公爵 大山嚴)。
○余も將に購はんとす。參考にしたし。


木村 泰一郞
○字を誤つた。
○「嚴」→「巖」


桐野作人
木村泰一郎さん

はじめまして。

同書を古書でいくらで買ったか、だいぶ以前なので記憶にありませんし、書類などもないです。

ただ、ネット古書店「日本の古本屋」では現在、

4500円から1万円台までかなりばらつきあるようです。
https://www.kosho.or.jp/

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この記事へのコメント
寺田屋の絵
 まいたけです。

 この本、3万5千円以上もする本なのですね。
 でも、値段分の価値がありそうでよかったですね。

 うろ覚えなのですが、黎明館に、大山巌が描いた寺田屋の絵がありませんでしたか? 「激動の明治維新展」で見た記憶があるのですが、、、

>寺田屋事件への参加

 ここに、その絵も掲載されているのでしょうか?
 
2007/04/22(Sun) 10:54 | URL  | まいたけ #BKdQhP/Q[ 編集]
追悼和歌なら
まいたけさん、どうも。

黎明館のあのときの展示、大山の絵は記憶にないのですが。もともと記憶力が悪いので申し訳ありません。

『元帥公爵大山巌』の寺田屋事件関連のなかにも、その絵は出てきません。冒頭の口絵にもありませんね。

明治24年(1891)、有馬新七らに贈位があったとき、大山はわざわざ伏見の大黒寺を訪れて、追悼の一首を手向けています。その一首の写真版はありますが……。

二つなき身もふりすてし真こゝろは
 雲の上まてあらはれにけり

ただ、序文によれば、大山家には自筆日記、自叙伝、往復書簡など多くの資料がまだ所蔵されており、逐次刊行されるであろうと描かれていますが、その後、公刊された形跡はありませんね。日記がいつ頃のものなのか、往復書簡には誰からのものがあるのか興味が尽きませんが。これらの資料の中にその絵も含まれているかもしれませんね。

お答えになっていなくてすみません。

2007/04/22(Sun) 12:35 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
 まいたけです。

 いろいろお調べいただき、ありがとうございました。

 『激動の明治維新展』の図録を開いてみました。
  図録を調べてから、先のコメントを書くべきでしたね。

 寺田屋事件に関して、寺田屋の絵と、「大山」まではよかったのですが、記憶というものは、あてにはなりませんね(冷汗)
 寺田屋の絵というのは、正しくは、「寺田屋事件見取り図」といい、是枝柳右衛門が記したものでした。鹿児島市維新ふるさと館が所蔵しているようです。
 それから、「大山」というのは、大山違いでして、上記の絵とともに、寺田屋事件の顛末を記した大山綱良日誌が展示されていました。わたしは、展覧会会場で見学したふたつの展示品を混同していたようでした。ちなみに、大山綱良日誌は、黎明館が所蔵しているようです。
 黎明館の『研究紀要報告・補説』(1984)に、塩満郁夫「大山綱良日誌と獄中からの遺言状」という論文が掲載されているようなので、ちょっと読んでみたい気もします。
 
 それから、大山巌の史料は、国立国会図書館に所蔵されているようですよ。
 http://www.ndl.go.jp/jp/data/theme/constitutional/data/o.html#oyama-iwa
 ここに、「日記、書翰」とありますので、そのことではないでしょうか。
2007/04/23(Mon) 11:47 | URL  | まいたけ #BKdQhP/Q[ 編集]
是枝柳右衛門
まいたけさん、こんにちは。

是枝柳右衛門は非武士身分の有志で、田中河内介ら藩外の尊攘派と交流があった人ですね。
寺田屋事件に参加したために、たしか屋久島に流罪となり、そのまま現地で亡くなったと思います。
彼の伝記もあって、一応もっています。

黒木弥千代『幕末志士 是枝柳右衛門』 是枝翁顕彰会 1963年

でも、同書にも寺田屋見取り図は掲載されていません。

大山綱良の論文は、私も入手しようとしていて後回しになっておりました。そのうち手に入れてみます。

大山巌の史料、憲政資料室ですね。おそらくそうだろうと思っておりました。

いろいろご教示有難うございます。
2007/04/23(Mon) 17:00 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
是枝柳右衛門と大山巌

 こんにちは。
 まだ、大山巌と寺田屋にこだわっている(笑)まいたけです。

 是枝は、屋久島で死亡していましたか。可哀想な人ですね。元治元年10月13日没。寺田屋事件が文久2年ですから、「寺田屋事件見取り図」は、その2年間に書かれたものということになりますね。
 再度、『激動の明治維新』展の図録を見てみると、「寺田屋事件見取り図」は、16.0cm×360.0cmという大きさでした。
3.6メートルもの長さの資料でしたら、見取り図だけではなく、手紙か報告書も含まれているものと思います。見取り図でない部分は、もしかすると、桐野さんがご所蔵の是枝の伝記に掲載されているかもしれませんね。
 この「寺田屋見取り図」は、有馬新七の伝記にも掲載されているようで、この部分だけがクローズアップされてしまってるようですね。本来は、別の資料名かもしれません。

 それから、大山巌と寺田屋の関係ですが、坂本龍馬が寺田屋で襲われた時、身を隠していた材木小屋まで船で救いに来たのが、大山巌の兄でした。その関係もあってか、坂本龍馬の四十年祭には、大山巌が薩摩藩を代表して参列し、その時、大山が朗読した祭文には、「坂本君の寺田屋に寓するや一夕突然兇徒の乱入に逢ひ格闘瘡を蒙る時に予が亡兄彦八伏見の藩邸に在り依て君を迎へ之を保護せり」と書いてありました。
 また、大山巌は、寺田屋お登勢の娘の縁談の世話までしていたようです。
 寺田屋と大山巌は、かなり懇意にしていたようですね。
 
 大山巌の関係文書に、寺田屋一族からの手紙などないでしょうかね?
2007/05/11(Fri) 16:53 | URL  | まいたけ #BKdQhP/Q[ 編集]
有馬新七伝記から
まいたけさん、どうも。

黎明館の図録「激動の明治維新」掲載の寺田屋見取り図を見ました。幅が3.6メートルもあるんですね。ということは、図録写真はほんの一部だけということでしょうか。

是枝柳右衛門の伝記にも、有馬新七の伝記『有馬新七先生伝記及遺稿』にも、この見取り図は掲載されていません。後者のほうは昭和初期の古い本で、口絵部分のところが切れているので、もしかしたら口絵部分に見取り図があったのに、失われている可能性もありますが……。

ただ、有馬の伝記の口絵に有馬の遺墨があり、それに後輩の樺山資紀が有馬の真筆であることを証明する一筆をしたためています。
その解説によれば、この遺墨は伏見の寺田屋が所蔵していたのを手放されそうだったので、それを見た樺山が買い求めて京都府立図書館に寄贈したものとか。刊行当時でも同館所蔵だそうです。現在は京都府立総合資料館あたりが所蔵しているかもしれませんね。

樺山がこの遺墨を見たのは明治30年夏だそうで、感激した樺山は寺田屋主人の求めに応じて「誠の栞」と題して次のように一筆書いたそうです。

「亡き我先輩有馬新七ぬしの誌されし誠のいたく心に染みて覚へしが寺田屋伊助の乞ひにまかせてしるし与へぬ」

大山巌は寺田屋事件がきっかけで、その後も寺田屋と交流があったようですね。兄彦八と龍馬の縁もありますし。 
2007/05/11(Fri) 22:53 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
有馬の遺墨
 おっしゃるように、図録写真にある寺田屋の見取り図は、展示を見たときの記憶では40~50cm程度の幅だったと思いますので、寺田屋の見取り図以外のところが、とても気になります。本当は、下手な寺田屋の見取り図より、それ以外のところの方が大切なような気がするのはわたしだけでしょうか?どんなことが書かれていたのか、徳之島にお電話する際、ちょっと聞いてみてください。お願いします。

 有馬新七の伝記は数点あるようなので、もしかしたら、違う本なのかもしれませんね。西京の先生から伺った話なので、来月お聞きしてみます。
 
 ところで、有馬の遺墨ですが、おっしゃるように京都府立総合資料館に所蔵されているようです。『坂本龍馬全集』増補改訂版(宮地佐一郎著)の後記に、「寺田屋文書」の解説と共に、同文書が所蔵されている京都府立総合資料館に所蔵されている寺田屋関係の資料名が書かれていますが、大正6年の寺田屋旧蔵として登録されている資料に、「有馬新七墨蹟一軸」が挙げられていました。おそらく、この軸のことでしょうね。

 樺山云々の解説のところ、とても興味があります!古文書塾のときでもよいので、是非とも見せていただけないでしょうか?お願いします。
 
 
2007/05/11(Fri) 23:26 | URL  | まいたけ #BKdQhP/Q[ 編集]
別の伝記かも
まいたけさん、どうも。

有馬新七の伝記は手持ちのもので足りると思っていたのですが、まいたけさんのご指摘のように、いろいろあるようなので、気になって調べましたが、次のものかもしれません。

有馬正義先生遺文
久保田収
芸林会
1970年

通称の「新七」だけでなく、実名の「正義」でも検索してみたら、ありました。
なかなかの古書価格からして(笑)、これに寺田屋見取り図が掲載されているのかもしれません。
悔しかったので、注文しました(爆)。

2007/05/12(Sat) 06:15 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
○訪ふ。
○いくらで御求めになったか(元帥公爵 大山嚴)。
○余も將に購はんとす。參考にしたし。
2015/09/19(Sat) 07:53 | URL  | 木村 泰一郞 #-[ 編集]
○字を誤つた。
○「嚴」→「巖」
2015/09/19(Sat) 08:01 | URL  | 木村 泰一郞 #-[ 編集]
木村泰一郎さん

はじめまして。

同書を古書でいくらで買ったか、だいぶ以前なので記憶にありませんし、書類などもないです。

ただ、ネット古書店「日本の古本屋」では現在、

4500円から1万円台までかなりばらつきあるようです。
https://www.kosho.or.jp/
2015/09/19(Sat) 19:15 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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