歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第239回
―原文に近い「丁丑日誌」―

本日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回は前回の続きで、川路家に保存されていた西郷隆盛の回文の内容を少し検討したものです。
この回文を収録しているのは、私が見つけただけで4点あります。ほかにもまだあるかもしれません。

1.「鹿児島県庁日誌」 『鹿児島県史料 西南戦争』第3巻所収
2.『宮之城町史』(新版) 宮之城町
3.加治木常樹『薩南血涙史』 青潮社復刻版
4.『丁丑日誌』下 鹿児島県史料集Ⅱ


少なくともこれだけの資史料に収録されているのですから、当時からある程度知られた回文だったことは間違いありません。
じつは『宮之城町史』には別の西郷回文(9月5日付)が写真付きで紹介されています。これも明らかに西郷直筆です。この回文もいくつかの史料本に転載されています。

今回、この回文が西郷直筆だったことを明らかにできたことが何よりの成果でしょう。
城山にこもったわずかな西郷軍で書記的な役割を果たせるのは戦闘員とはいえない西郷しかいなかったという事情もあったでしょうし、西郷直筆により西郷の健在を広く知らしめ、地方の郷士たちの再決起を有利に進めるという目的もあったかもしれません。
ただ、事ここに及んでも、西郷はまだ大勢挽回を諦めていなかったのかと少し悲しくなりますけどね。

西郷回文の写し4点には内容上の異同があることを記事にも書きました。要は原文に忠実に写されていないのです。なぜそうなったのか、また写し同士は互いにどのような関係にあるのか、いくつか疑問があったので、記事は考証的になってしまい、少し面白くなかったかもしれません。
また紙幅の関係で考証も十分に展開できませんでした。とくに『薩南血涙史』の著者加治木常樹はいつ、どこでこの回文(かそれを写した史料)を見たのかがよくわかりません。原文が川路家にあったとすれば、『丁丑日誌』からかなと思いましたが、これも鹿児島県令だった岩村通俊の子孫が大事に保管していたので考えにくいです。

一方、原文にほぼ忠実な写しは『丁丑日記』です。
これは岩村が鹿児島県令だった関係から、西郷回文の原文を知り得て転写できる立場にあったからだと思います。一部の字句を除いて、追而書(追伸)も正確に写し、あて先の8カ郷の数と順番も正確、回覧済みの4カ郷の署名も正確です。
おそらく川路が入手する前に鹿児島で写されたのでしょう。
ほかにも、この回文を写した人がいた可能性がありますが、それが不正確だったか、あるいは二次的に写した人が不正確に写したかして、『薩南血涙史』などの不正確な写本が残されたのだと思います。

あと、川路がいつ、どこでこの回文を入手したかは不明ですが、おそらく東京ではないかと思います。西郷軍からの鹵獲品が東京に運ばれ、その中に紛れていたのを川路かその関係者が発見したのかもしれませんが、あくまで憶測です。

以上、記事の補足をしてみました。

次回は川路の禁門の変や鳥羽伏見の戦いでの奮戦を書くか、別の題材にしようか迷っているところです。

↓↓↓ぜひ下記をクリックして下さいね↓↓↓
人気ブログランキング
スポンサーサイト

【2012/06/25 16:59】 | さつま人国誌
トラックバック(1) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
南日本新聞連載「さつま人国誌」第239回―原文に近い「丁丑日誌」―本日、連載が更新になりました。同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。今回は前回の続きで、川路家に保存されていた西郷隆盛の回文の内容を少し検討したも?...
2012/06/26(Tue) 14:08:43 |  まとめwoネタ速neo