歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第240回
―大言壮語して功名あげる―


昨日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

前から書きたかった川上左京亮忠堅について、今回と次回の2回に分けて書きます。
忠堅は戦国島津氏の九州制覇の立役者の一人といってよい人物。ほかでもない、肥前佐嘉の龍造寺隆信を討った人です。
しかし、もともと大言壮語する性癖があり、しかも、肥前島原で僚将の新納忠堯(忠元の嫡男)を無用に挑発して戦死に至らしめてもおり、家中では嫉妬とともに敬遠されるか、憎悪さえされていたと思います。

そして、島津氏がいよいよ有名な筑前岩屋城攻めを始めたとき、その前哨戦となった鷹取城攻めのとき、城将筑紫晴門と一騎打ちを演じて、ともに討死を遂げました。
忠堅は家中の憎悪と反感により追いつめられ、それがこういう結果を招いたといえるかもしれません。
島津家中でも際立った武勇の持ち主でしたが、「口は災いの元」としかいいようがありません。

この鷹取城の一騎打ちを書かないと、忠堅を書いたことになりません。しかし、それに関連する史跡写真をもっていなかったため、これまで書けずにおりました。
ところが、この4月の熊本・福岡取材のとき、忠堅と晴門の一騎打ちの場所(おそらく伝でしょうが)や忠堅の墓を訪れることができました。
ですから、ようやく書けるようになったわけです。

次回もお楽しみに。

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【2012/07/03 01:20】 | さつま人国誌
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ミス?、削除可能
みなみ
岩屋城は筑前では?



筑前
桐野作人
みなみさん

ご指摘のとおりです。
本文修正しました。

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2012/07/03(Tue) 01:45 |   |  #[ 編集]
ミス?、削除可能
岩屋城は筑前では?

2012/07/05(Thu) 11:11 | URL  | みなみ #3/2tU3w2[ 編集]
筑前
みなみさん

ご指摘のとおりです。
本文修正しました。
2012/07/05(Thu) 13:21 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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