歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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先日、『織豊期研究』14号が届いた。

そのなかで気になった論文がひとつ。関ヶ原合戦の少し前の宇喜多騒動についてのもの。

石畑匡基氏「宇喜多騒動の再検討―『鹿苑日録』慶長五年正月八日条の解釈をめぐって―」

宇喜多騒動とは、宇喜多秀家と宿老衆が対立し、一時は宿老衆が屋敷に立てこもるなど一触即発になった事件です。その原因のひとつとなったのが、秀家の寵臣中村次郎兵衛の存在。
相国寺鹿苑院の日記『鹿苑日録』に、慶長5年(1600)1月5日、中村次郎兵衛が「相果てた」という記事があります。
その記事の解釈が難しいらしく、筆者の石畑氏によれば、朝尾直弘氏以来、新旧の研究者がさまざまに解釈しているそうですが、一致を見るに至っていないと石畑氏はいいます。念のため、当該条をあげておきます。

「中村次郎兵衛去五日夜相果ト云々、此故ハ此比備前中納言殿長男衆ヲ背テ恣之故ト云々、主者牢人也、定而中納言殿以前不苦之間、形少(大谷吉継)エ可出ト云々、備前ニハ不白與了松下人一両人[シテ]留守ヲスルト云云。上下七十人ホト之者共。一時ニ聴此事分散。絶言語。(後略)」

最初に断っておきますが、私は宇喜多騒動については門外漢です。
多くの研究者が上記の解釈に苦労されているようですが、どれもストンと腑に落ちてきません。それというのも、下記に示したような語句解釈に違和感がつきまとっているせいかも。

上記で私が語句で気になったのは2カ所。

1.「相果」(相果つる)。
2.「主者牢人也」(主は牢人なり)。

1.については、たしかに死亡するという意味もありますが、「身上相果つ」というように、地位・勢力や財産などすべて失うという意味もあります。
大西泰正氏によれば、中村次郎兵衛は殺害されず存命で、秀家夫人豪姫の実家の加賀前田家に引き取られ、その後は前田家家臣になっているそうです。だから、死亡記事だとすると、記主の誤伝だということになります。
ところが、石畑氏が明らかにされたように、上記引用中に登場する「不白」なる人物は相国寺の関係者(僧侶の可能性大)だと推定される。しかも、宇喜多家の大坂・備前島屋敷に出入りしていることから、宇喜多家中と何らかのつながりがあると考えられます。
そうであれば、不白からもたらされた情報を記したと思われる上記引用は雑説や噂ではなく、中村の生存を知っている家中からの確度の高い情報と思われます。
つまり、中村次郎兵衛の「相果」は死亡ではなく、地位や勢力を失う意味であり、この場合、進退に窮した中村が出奔もしくは逐電したと解することもできるのでは。

2.について。
この一節の「主」の人物比定について、ほとんどすべての研究者の理解は秀家と対立した旧臣衆だとし、彼らが中村次郎兵衛を襲撃して殺害したという解釈で一致しているようです。
しかし、先ほどみたように、中村は存命しています。この一節を解釈した方々は中村が殺害されたという前提を念頭に置いておられるから、「主」を一方の当事者である旧臣衆に比定しているのではないかと考えられます。
「主」には事の当人という意味があり、この場合、記事の前後関係から、もう一方の当事者で「相果てた」けど存命している中村次郎兵衛を指すとも考えられます。
つまり、当の本人である中村次郎兵衛は家中対立の結果、出奔して牢人となったという解釈です。
この「牢人」を旧臣衆だとすると、細かい点ですが、「牢人」という単数形ではなく「牢人衆」とか「牢人者共」といった複数形で記すのではないでしょうか。
また、旧臣衆である「牢人」が大谷吉継に庇護されているという解釈も、この事件の裁定での大谷の立場・態度からするとおかしいのでは。大谷は秀家=中村ラインを支持していたようですから、自分の意に沿わない旧臣衆を庇護するとは考えにくいのではないでしょうか。

以上、自己流で解釈してみましたが、全体の大意としては、

「中村次郎兵衛が5日夜出奔したという。その理由は、近年宇喜多秀家の宿老衆に背いて恣意の政治を行ったからだという。中村は牢人になった。おそらく秀家が以前心やすく思っていた大谷吉継の所に出頭したのではという。備前島(にある中村の屋敷か)には不白と了松、それに下人が2,3人留守しているだけだという。上下70人ほどの中村の家人や奉公人はこのこと(中村の出奔)を聞くと、たちまち退散してしまった。言葉にもならない」


なお、以下は余談です。
「主」の解釈について、私も以前悩ましかった経験があります。
「主」はこの場合、「ぬし」と読んだほうがいいと思いますが、主人という意味のほかに、事の当人という意味があります。以前、この「主」が含まれる一節をそのように解釈した人がいて、目からウロコだった記憶があります。
それは、羽柴秀吉が小牧長久手合戦の最中、五位少将に叙任したことを記した『多聞院日記』天正12年10月16日条。非常に有名な一節です。

「今度於京都羽柴筑前ハ従叡慮四位ノ大将ニ任ジテ、兼将軍ノ官ヲ可被成之旨雖有勅定、主ノ望ニテ五位ノ少将ニ任了ト」

今度、秀吉は天皇の思し召しにより、四位大将に任じて将軍も兼ねよという勅定があったけれども、「主」の望みで五位少将に任ぜられたという大意です。
ここにも「主」が出てきて、これを主人の意味に解すると天皇になります。天皇は秀吉を四位大将兼将軍にしたい意向だと前段にあるのに、なぜか天皇の望みで五位少将になったというわけのわからないことになります。
ところが、この「主」を事の当人、つまり官位を与えられる秀吉本人だと解釈すると、天皇の過分な官位授与に対して、秀吉がそれを断り、秀吉の望みで五位少将になったと、まことにうまい具合になります。

宇喜多騒動での「主」も事の当人=中村と解釈したほうが、うまく当該個所を解きほぐせるのではないかと感じた次第。

門外漢の妄言かもしれませんが。

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【2012/11/09 18:44】 | 戦国織豊
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千代田では
みなみ
特別講義ありがとうございました。
石畑さんは様々な大名家を意欲的に分析されてますね。
23日大門さんが江戸城廻り見学の募集をしてますので御案内しておきます。

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この記事へのコメント
千代田では
特別講義ありがとうございました。
石畑さんは様々な大名家を意欲的に分析されてますね。
23日大門さんが江戸城廻り見学の募集をしてますので御案内しておきます。
2012/11/16(Fri) 15:10 | URL  | みなみ #-[ 編集]
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