歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第259回
―雲行丸のモデルを考案―

本日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回は、前回の河田小龍とのつながりで、ジョン万次郎について書きました。
ジョン万次郎の漂流譚は非常に有名ですが、薩摩と深い関わりがあることはあまり知られていないと思います。

万次郎は漂流から救出され、アメリカで10年ほど過ごしますが、やはり望郷の念は押さえがたく帰国を決意します。それは琉球への上陸という方法をとりました。おそらく日本本土よりも打ち払われる可能性が少なかったからだと思います。
琉球は当時、薩摩藩に従属していましたから、すぐさま藩当局に急報されます。琉球で半年滞在し、事情聴取されたのち、長崎奉行に引き渡すために鹿児島に護送されます。
このときの帰還漂流民は万次郎だけでなく、一緒に遭難した伝蔵とその弟五右衛門の3人でした。

鹿児島に連れて来られた3人は、薩摩藩からかなり厚遇されます。帰還漂流民はいわば罪人なのですが、なぜ厚遇したかといえば、万次郎の学識に期待するところが大きかったわけです。詳しくは記事に書きました。

面白いのは、万次郎たちは藩当局から宗門改めをされています。外国帰りですから、ある意味当然で、踏み絵を踏まされたようです。万次郎たちはアメリカ生活が長かったので、洗礼を受けたかどうかは不明ですが、キリスト教は日常生活で親しんでいたはずです。しかし、幕府の厳しいキリシタン禁制を承知していたはずですから、踏み絵を踏んだようです。
また、宗派を問われて、一向宗と答えているのも面白いです。土佐では浄土真宗が広がっていたのでしょうか。この答えには、藩内で厳しい一向宗禁制を敷いている藩役人も緊張したはずですが、とくにお咎めもなかったようです。他藩人だから寛容だったのかもしれません。

万次郎たちの所持品も徹底的に検査され、記録されますが、鉄砲や塩硝を持っていたのに目を引かれました。

藩当局では、万次郎の学識と捕鯨船乗船の経験から、蒸気船建造の手がかりを得ようとして、毎日のように船手関係者や船大工が万次郎の所に日参して、熱心に事情聴取し、模型まで作らせています。
それが、雲行丸の建造へとつながるのは記事に書いたとおりです。

次回は、万次郎の2度めと3度めの来薩を書く予定です。
とくに2度めは薩摩藩が藩営洋学校の開成館を創設し、その教授として万次郎を迎えることになります。

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【2012/12/03 18:12】 | さつま人国誌
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