歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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このところ、諸事多忙でなかなか更新できなかった。

24日夜、古文書講座てらこや「幕末の日記を読む3」の2回目の講座に出講。

いよいよ、土佐藩が大政奉還建白書を幕府に提出するところまで漕ぎつけた。
その建白書全文を改めて読んでみた。同時に芸州藩が提出した建白書と読み比べてみたが、やはり土佐藩の建白書がよくできている。それは前藩主山内容堂の建白書だけでなく、後藤ら家来の建白書の二本立てになっていて、後藤らの建白書のほうが8カ条の要求項目が並べられており、非常に具体的な内容になっているからだろう。

ところが、日記の主、寺村左膳は大政奉還という重大事件にもかかわらず、国元に帰郷してしまう。これがじつをいうと、明治維新以降の左膳の身の振り方まで決してしまったといえるかもしれない。左膳の不在のうちに、後藤・福岡・神山らの在京重役は薩摩藩との連携を図り、ともに王政復古政変に突入していく。
薩摩藩とは一線を画すとばかり思っていた左膳にとっては、後藤らの態度は変質に見えたことだろう。それに憤慨した左膳は維新政府に背を向ける道を選択する。

それはさておき、左膳が京都に不在なので、次回は他の史料を援用してやることになる。これは準備が一段と大変になりそうだ(苦笑)。

前回、白い紙の文字が反射してとても見づらく、やばいなと思ったが、今回はなんとか大丈夫だったので安堵。体調にはもう少し気を遣おう。
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【2007/04/27 00:40】 | てらこや
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