歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第272回
―「国賊」の悪名着せられる―

昨日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

多忙ゆえ長い間更新できずに申し訳ありません。

先週分の第271回「筆頭老中・伊集院幸侃の上意討ち」(中)も併せてご覧下さい。

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【2013/03/26 15:46】 | さつま人国誌
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ばんない
こんばんは。
「島津久章の東目送り」の件が調べられてません(爆)どうにかせねばとは思ってるのですが…。

>それでも、義弘は事件後、忠恒を擁護する一方、幸侃の遺族に同情している様子もない
私もいろんな史料を見て、これは変と感じていました。娘の婚家はどうでもよいと思っていたのか。しかも幸侃はかつての盟友なのに。
なお、御下は伊集院忠真との間に娘を生みますが、その娘の生年を逆算すると、どうも御下は忠真と共に都城に籠城していたことになります。御下のことは心配じゃなかったのでしょうか?

>それに加えて、立花宗茂、寺沢正成、相良頼房など九州の諸大名が義弘、忠恒父子に起請文きしょうもんを提出して忠恒を擁護した。高雄に謹慎していた忠恒を迎えに行ったのも寺沢、立花、小西行長の三大名だった(「種子島家譜四」五六号)。
これも興味深いですね。九州の諸大名は島津氏が九州の盟主の一つであると認めたようにも見えます。

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この記事へのコメント
こんばんは。
「島津久章の東目送り」の件が調べられてません(爆)どうにかせねばとは思ってるのですが…。

>それでも、義弘は事件後、忠恒を擁護する一方、幸侃の遺族に同情している様子もない
私もいろんな史料を見て、これは変と感じていました。娘の婚家はどうでもよいと思っていたのか。しかも幸侃はかつての盟友なのに。
なお、御下は伊集院忠真との間に娘を生みますが、その娘の生年を逆算すると、どうも御下は忠真と共に都城に籠城していたことになります。御下のことは心配じゃなかったのでしょうか?

>それに加えて、立花宗茂、寺沢正成、相良頼房など九州の諸大名が義弘、忠恒父子に起請文きしょうもんを提出して忠恒を擁護した。高雄に謹慎していた忠恒を迎えに行ったのも寺沢、立花、小西行長の三大名だった(「種子島家譜四」五六号)。
これも興味深いですね。九州の諸大名は島津氏が九州の盟主の一つであると認めたようにも見えます。
2013/03/31(Sun) 01:21 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
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