歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第280回
―小松帯刀の臨終みとる―

本日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回は小松帯刀の主治医だったボードウィンを取り上げました。
以前、小松帯刀の視点から取り上げたこともありましたが、今回は上野公園の胸像を撮影したことから、改めて書いてみました。

小松が大久保一蔵に宛てた書簡のなかによくボードウィンの名前が登場します。
とくに、小松の最晩年、大阪でボードウィンの治療を受けていたときはよくその様子を書き送っています。

ボードウィンと小松はおそらく長崎で知り合ったのではないかと思います。
史料で確認できるのは慶応2年(1866)ですが、ボードウィンは文久2年(1862)に来崎してますから、それ以前から知り合いだった可能性はあります。

ボードウィンと薩摩の関係は管見の限り、小松帯刀との交流しか検出しえませんが、長崎に常駐していた薩摩藩の留守居役(汾陽次郎右衛門、市来六左衛門など)とか長崎に交易その他の職務でやってくる人々とも交流があった可能性が高いです。

ボードウィンはオランダ医学に基づく医学校を東京に設置することを念願しましたが、明治政府がドイツ医学を選択してしまったため頓挫しました。
これは同様に、東京から排除されたイギリス人医師ウィリアム・ウィリスと立場が近いことに気づかされます。

次回は未定です。

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【2013/05/27 22:33】 | さつま人国誌
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