歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第282回
―伊集院幸侃に渡明訴える―

17日、連載が更新になりました。告知が遅くなりすみません。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回は近世初期の著名な朱子学者、藤原惺窩が薩摩にやってきて、少し長く滞在し、日記も残していることを書きました。
あまり知られていないことだと思います。

今回いちばん興味深かったのは、惺窩が寄港先で出会った海商や船頭たちとの出来事です。
ワインを飲ませてもらったり、琉球やルソンへの航海マニュアルを見せてもらったり、挙句は南蛮人がつくった世界地図まで見せてもらっています。
この世界地図、誰が描いたものでしょうかね。興味が尽きません。

これは内之浦での出来事ですが、当時、同港の人々の旺盛な活動の一端をうかがうことができます。
南九州の人々は、南に開けた海に乗り出し、東アジア世界、ひいてはヨーロッパとつながっていたんだと実感させられます。

惺窩の目的は記事に書いたように、明国に渡海することでした。
儒学、朱子学という学問を究めるためです。
その渡航許可を島津家の筆頭老中、伊集院幸侃から得るために惺窩は幸侃への面会を望んだのです。

ここで、気になるのは幸侃の権限ですね。
惺窩は太守義久にも会おうとすれば会えたのに、会見を避けています。
義久はこの前後、薩摩の商人たちに朱印船貿易の許可証を発給しており、一番の権限をもつ人のはずですが、惺窩はなぜ義久を頼らなかったのでしょうか?

おそらく惺窩は上方で幸侃と知り合っていたのではないかと推察されます。
その縁を頼って薩摩まで下向してきたのでしょう。
惺窩は海商ではありませんから、朱印船貿易の許可を得たいわけではありません。
渡航許可は幸侃の権限でも十分可能だったということでしょうか。
筆頭老中で豊臣政権をバックにした幸侃の権勢をうかがわせる一面かもしれません。

次回はいよいよ惺窩が明国渡航にチャレンジします。
どういう結末になるかお楽しみに。

↓↓↓ぜひ下記をクリックして下さいね↓↓↓
人気ブログランキング



スポンサーサイト

【2013/06/20 08:50】 | さつま人国誌
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック