歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

7月4日、友人たちと伊豆方面に行きました。
折から小雨もぱらつくあいにくの天気でしたが、途中で雨もやんだのでよかったです。

まず三島駅に着くと、三島大社に行きました。
ここには格別の思い入れがあります。
天正10年(1582)、本能寺の変が起きる年、当年閏月問題が起きました。
朝廷が調製する京暦(宣明暦)と地方暦で、当年の閏月をどこに入れるのか、1カ月の食い違いが生じました。
これは後北条氏五代の記録『北条五代記』にも記されていて、北条氏政は関東の三島暦などに従っています。

信長もこの食い違いに着目し、暦道を司る土御門有脩と「濃尾の暦者」を対決させています。
このときは、京暦が正しいということで決着がついたのですが、本能寺の変の前日、6月1日、信長はこの問題を蒸し返し、公家衆を困惑させています。
なぜ信長が蒸し返したのかその理由は史料に表れませんが、私は信長が甲州陣で東国に実際足を踏み入れたことによる知見が大きいのではと思っています。
信長にとって、自分の領国内での時間の不統一は看過できなかったものと思われます。
三島大社の変わった灯籠

その後、韮山代官として有名な江川邸に行きました。
幕末期の当主、江川英竜(坦庵)が有名です。坦庵は兵学者でもあり、パンを初めて焼くなど開明的な人物でした。パン窯なども見学しました。江川家の家紋が井桁に菊紋なのが興味深かったです。近世は菊紋の使用制限がなかったことがうかがわれます。
韮山代官江川家の家紋

韮山には源頼朝の配流地蛭ヶ小島があります。もっとも、現在、建碑されている蛭ヶ小島とされる地はあくまで「伝」だそうで、必ずしも特定されていないとか。案内してくれた地元の有識者によれば、その近くに「兵衛の森」とかいう地名があるそうで、頼朝の官途「右兵衛佐」にちなむ地名なので、こちらが蛭ヶ小島かもしれないと説明してもらいました。
源頼朝が配流された蛭ヶ小島

有名な反射炉にも行きました。わが国では、佐賀、薩摩、長州、水戸など諸藩でも反射炉がつくられましたが、完全な形で現存しているのはここだけです。それだけに貴重ですね。
韮山の反射炉

日帰りの小旅行でしたが、とても楽しかったです。

↓↓↓ぜひ下記をクリックして下さいね↓↓↓
人気ブログランキング
スポンサーサイト

【2013/07/06 11:01】 | 歴史紀行
トラックバック(0) |


ずっちゃん
お疲れ様でした。また御同道有り難うございました。今度は近くにある私の隠居庵にも是非。玄峰和尚が岸信介と密談によくいらしてた片倉温泉が最寄りの温泉でしてなかなか良いです。


ずっちゃん
訂正・竹倉温泉でした。

楽しみです
桐野
先日はお世話になりました。
また伊豆行きたいですね。

コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
お疲れ様でした。また御同道有り難うございました。今度は近くにある私の隠居庵にも是非。玄峰和尚が岸信介と密談によくいらしてた片倉温泉が最寄りの温泉でしてなかなか良いです。
2013/07/06(Sat) 15:29 | URL  | ずっちゃん #tklJSNtk[ 編集]
訂正・竹倉温泉でした。
2013/07/06(Sat) 15:35 | URL  | ずっちゃん #tklJSNtk[ 編集]
楽しみです
先日はお世話になりました。
また伊豆行きたいですね。
2013/07/07(Sun) 07:38 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。