歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第292回
―「御本家御相続」の意味―

本日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。
今回はこれまでも何度か取り上げている亀寿について新しく見出した史料について書きました。

「御本家御相続」

という注目すべき文言があります。
亀寿が島津本家を相続したとあるのです。
では、亀寿が島津本家の女当主、惣領なのかということになりますが、この文言だけでそう判断するのは早計だと思われます。
この文言をどう解釈したらいいのか、私見を加えてみました。

この文言があるからといって、亀寿が島津本家当主だったとはいえませんが、同時に夫家久の当主としての地位もかなり不安定で流動的なものであったことも示していると思います。
家久は亀寿抜きで自分の後継者を決められなかったのではないかと思われます。
他家でも似たような事例があるかもしれませんね。
いずれにしろ、戦国から近世初期における女性の地位を考えさせられる事例だと思います。

なお、この史料については、来る28日(土)、鹿児島市宝山ホールでの私の講演でご紹介し、解説したいと考えています。同講演会について詳しくはここをご覧下さい。

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【2013/09/16 16:53】 | さつま人国誌
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島津亀寿島津氏十八代当主説?
ばんない
お久しぶりです

今回取り上げられた史料とは末川家文書23「口上覚留」(『鹿児島県史料家分け11』所収)でしょうか。今改めて確認したら、確かに書いてありますね。
9月28日の後援会で詳細に解説されると言うことですので、ネタ晴らし自粛と言うことで史料の内容自体の話は後日にでも(汗)

さて、「人国記」本文で「実際に政務を執った戦国女性」として桐野さんが例に挙げている二人は、その家の当主と言うよりは、嫁に来て諸般の事情により代行者に収まったという印象を受けます。
実際にその家の女性当主となったのが確実な戦国女性と言えば立花誾千代とか井伊直虎などが思い浮かびますが、誾千代は書状の発給など行っていたのでしょうか、ちょっと記憶がありません。直虎は実際に政務も行っていたようですね。

話は変わりますが、洞松尼(めし殿)は細川勝元の娘という高貴な身分でありながら出家させられたのですが、何でも容貌が余りにも「…」だったので、うっかり政略結婚でもさせてしまって相手に迷惑をかけてはいけないとのことで尼にしてしまったらしいとか言う話をどこかで読んだような…
亀寿が不細工と言われますが、もしかしたら洞松尼こそ真の戦国一の醜女かも知れませんな(苦笑)

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この記事へのコメント
島津亀寿島津氏十八代当主説?
お久しぶりです

今回取り上げられた史料とは末川家文書23「口上覚留」(『鹿児島県史料家分け11』所収)でしょうか。今改めて確認したら、確かに書いてありますね。
9月28日の後援会で詳細に解説されると言うことですので、ネタ晴らし自粛と言うことで史料の内容自体の話は後日にでも(汗)

さて、「人国記」本文で「実際に政務を執った戦国女性」として桐野さんが例に挙げている二人は、その家の当主と言うよりは、嫁に来て諸般の事情により代行者に収まったという印象を受けます。
実際にその家の女性当主となったのが確実な戦国女性と言えば立花誾千代とか井伊直虎などが思い浮かびますが、誾千代は書状の発給など行っていたのでしょうか、ちょっと記憶がありません。直虎は実際に政務も行っていたようですね。

話は変わりますが、洞松尼(めし殿)は細川勝元の娘という高貴な身分でありながら出家させられたのですが、何でも容貌が余りにも「…」だったので、うっかり政略結婚でもさせてしまって相手に迷惑をかけてはいけないとのことで尼にしてしまったらしいとか言う話をどこかで読んだような…
亀寿が不細工と言われますが、もしかしたら洞松尼こそ真の戦国一の醜女かも知れませんな(苦笑)
2013/09/17(Tue) 00:07 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
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