歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第295回
―縁ある新納家墓所近くに―

本日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回は旧・川辺町にあるフランシスコ・ザビエルの墓とされるものを紹介しました。
先月、南薩取材をしたとき訪れました。

当初は単なるフィクションだろうと思っていましたが、新納家の墓所に隣接していること。
またこの新納家がザビエルが訪れた市来鶴丸城主の新納康久の後継者である久饒(ひさとも)の家であることがわかったことから、俄然、ザビエル伝承も単なる虚構ではないなと感じた次第です。

新納康久の家老ミゲル(日本名不明)がザビエルから直接洗礼を受け、さらに康久の子どもたちも受洗しています。二男久饒もザビエルから受洗した一人だと思われます。
久饒はその後、市来から川辺に移りますが、その過程で棄教したものと思われます。
しかし、ミゲルの子もミゲルという洗礼名をもち、若ミゲルと呼ばれて、ザビエルから教化されたキリシタン集団としての誇りを川辺に移ってからも持ちつづけていたのではないかと思われます。
その証拠に、慶長10年(1605)、イエズス会宣教師ルイス・ニアバラが川辺を訪れたとき、若ミゲルからザビエルの遺品を見せられているほどです。

そのようないきさつから、この伝・ザビエル墓は無視できないなと感じた次第です。
川辺のキリシタン集団はその後どうなったのでしょうね?
記録は残っていないような。でも、悲惨な運命だったことはたしかでしょう。

なお、ネット版の記事では、伝:ザビエル墓の「天外傳神和尚」の刻字が見にくいので、単独の墓の写真を載せておきます。
IMG_6491ザビエル墓_800

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【2013/10/07 19:06】 | さつま人国誌
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本日、現地で見てきたのですが、「神」の字が「補」に見えるのですが、いかがでしょう?

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コメント
この記事へのコメント
本日、現地で見てきたのですが、「神」の字が「補」に見えるのですが、いかがでしょう?
2013/10/07(Mon) 20:34 | URL  |  #-[ 編集]
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