歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第311回
―越後沖で幕府軍艦と交戦―

連載が昨日更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

北郷氏シリーズの最後です。
都城島津家の分家、平佐北郷家の幕末期の当主北郷久信について書きました。
この人はあまり知られていませんが、なかなかの開明派で、たとえて言うなら、一所持版の島津斉彬とでもいうべきでしょうか。
藩主だった斉彬より規模は小さいですが、8000余石の身代ながら、殖産興業を図り、平佐焼や生蝋の開発や専売、火打ち石銃の発明や洋式帆船の建造などの事業を行っています。

小松帯刀とも親しかったですが、藩政では枢要の地位には就いていません。
戊辰戦争では、軍艦乾行丸の船将として出陣しています。
そして、北越戦争で陸の政府軍の支援をしたり、天領佐渡の平定などを行いました。
その間、旧幕軍艦の順動丸と交戦し、数発の命中弾で擱座・自沈に追い込むという戦功もありました。

明治になってからは新政府に出仕せず、地元で余生を送りました。
新政府に出仕しなかったのは、一説によれば、友人小松帯刀の死のせいともいわれます。
もっと知られてよい人物だと思います。

次回はある佐土原藩士を取り上げます。

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【2014/02/18 22:40】 | さつま人国誌
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