歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第313回
―島津吉貴が南泉院建立―

昨日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回は、日光東照宮で有名な東照宮信仰が薩摩藩においても見られたことを書きました。
どうも鹿児島への勧請は2度あったと思われます。2代藩主島津光久のときと、4代藩主島津吉貴のときのようです。
場所も違いました。1次は鶴丸城の北、2次は鶴丸城の西南です。
1次は場所を特定できませんが、2次は現在の照国神社の地で、ここに別当寺の南泉院が創建され、その境内に徳川家康を祀った洞廟と歴代将軍の位牌を安置した御位牌殿がつくられました。
家康の百回忌、二百回忌には盛大な法要が執りおこなわれています。

鹿児島にも東照宮があったことはほとんど知られていないと思いますので、今回紹介してみました。

前回分(第312回)の紹介・告知も忘れておりました。

佐土原藩小隊長・宇宿代吉の古写真――戊辰戦争中、京都で撮影

戊辰戦争に出征した佐土原藩の二番銃隊を率いる小隊長の古写真を知り、そのイケメンぶりもあって紹介してみようと思いました。
撮影時期、同場所、身の回りの装備なども興味深いです。
合わせてご覧下さい。

次回は未定です。

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【2014/03/04 09:07】 | さつま人国誌
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東照宮のその後
ばんない
御無沙汰しております

現在の照国神社の前身(と言うより先住)が東照宮というのは知っていたのですが
・そのもうひとつ前に別の東照宮もあった
・それを勧請したのは島津光久
というのは初めて聞く話で興味深く伺いました。

前から疑問に思っていたのですが、照国神社を建てる際に先住者(神?)の東照宮はどこかに移転したはずなのですが、その辺の話を余り聞きません。どうなったのでしょう?桐野さんもご存じではないでしょうか?

東照宮のその後
桐野作人
ばんないさん、お久しぶりです。

ウィキによれば、照国神社は幕末の元治元年に建立されていますね。衰えたりとはいえ、まだ幕府が健在な時期です。
その頃、東照宮をどこかに移したというのは、かなり大胆というか、幕府に見切りをつけたというか。
ですから、東照宮のその後、ぞんざいに扱われたかもしれませんね。

考えられるのは、東照宮も一応神様なので、鶴峯神社に合祀した可能性があるかもしれないです。

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東照宮のその後
御無沙汰しております

現在の照国神社の前身(と言うより先住)が東照宮というのは知っていたのですが
・そのもうひとつ前に別の東照宮もあった
・それを勧請したのは島津光久
というのは初めて聞く話で興味深く伺いました。

前から疑問に思っていたのですが、照国神社を建てる際に先住者(神?)の東照宮はどこかに移転したはずなのですが、その辺の話を余り聞きません。どうなったのでしょう?桐野さんもご存じではないでしょうか?
2014/03/13(Thu) 17:15 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
東照宮のその後
ばんないさん、お久しぶりです。

ウィキによれば、照国神社は幕末の元治元年に建立されていますね。衰えたりとはいえ、まだ幕府が健在な時期です。
その頃、東照宮をどこかに移したというのは、かなり大胆というか、幕府に見切りをつけたというか。
ですから、東照宮のその後、ぞんざいに扱われたかもしれませんね。

考えられるのは、東照宮も一応神様なので、鶴峯神社に合祀した可能性があるかもしれないです。
2014/03/18(Tue) 10:59 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
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