歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第314回
―本宗家継ぎ、鹿児島入城―

10日に連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今年は戦国期の島津家当主、島津貴久(1514~71)の生誕500年にあたる。
それにちなみ、貴久の足跡の主だったものを上・下2回に分けて紹介する。

上では、貴久の家督相続問題について、養父島津勝久の有名な「悔返」ののちの苦難や、最大のライバル、薩州家の島津実久との戦いについて。
そして、貴久の名乗りが9代当主島津忠国とまったく同じであること。とくに忠国は初名が貴久である。
そのことを貴久がどこまで意識していたのかどうかは不明だが、もし意識していたとすれば面白いと思った。

というのは、貴久が「悔返」に遭って蟄居したように、忠国も日向侵攻の失敗により、家中から隠居させられている。ともに島津家当主から引きずり下ろされるという共通体験をしているのである。
しかも、忠国の次の当主に擁立されたのは弟の持久で、のちの薩州家の家祖である。
貴久もまた、薩州家の5代実久によって苦汁をなめた。
薩州家との抗争という点で、忠国と貴久は共通している。

島津実久は一度は家督を相続しているという研究もある(山口研一氏)。貴久の家督相続は実久との激しい戦いに勝利して、これを奪取したものである。貴久の家督相続は決して円滑に進んだのではなく、実力によるものであり、また家中の豊州家や北郷氏の支持を獲得してはじめて成ったといわれている。

今回の写真掲載は、鹿児島市の大龍小学校の校庭にある史跡案内板を使用した。
その近くには同校の校歌を書いた柱がある。その冒頭の歌詞は、

「大中龍伯名に負いて~」

「大中」こそ、貴久の法名「大中良等庵主」の略である。「龍伯」はもちろん島津義久の出家名。
この校歌は島津家の歴史を問わず語りに歌っていて興味深い。
08大龍小学校校歌_800

なお、「大龍」は貴久・義久父子の法名・出家名から一字ずつとったと記事で述べたが、紙数の関係でワンクッション省略している。
2人から一字とったのは、内城跡に建立された大龍寺である。江戸初期、大龍寺跡地に小学校が建てられ、その寺名を冠したともいえる。なお、大龍寺の開山は『鉄炮記』を叙述した南浦文之である。

次回は下を書きます。
ご期待下さい。

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【2014/03/12 19:37】 | さつま人国誌
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島津「貴久」
ばんない
こんにちは。

今年は貴久生誕500年とは感慨深いですね。鹿児島では何かイベントとかあるんでしょうか…ないんでしょうな…

知名度では息子の義弘に劣る貴久ですが、キリスト教伝来などの関係で教科書では知名度高いはずの貴久です、確かにもうちょっと注目浴びても良いと思います。

貴久の生誕500年は大坂の陣400年でもありますね。貴久が生まれてから100年後に天下の決着がついたというのも感慨深いです。大坂城天守閣などでは特別展などを行うようですが。ついこの間関ヶ原400年イベントしたと思ったのに、それからも既に14年とは…

「貴久」の命名には実は前例があったこと、またその前任者(?)にどうも自分をなぞらえた形跡があること、更にそれがご先祖の出自と関係ありそうなことは今回初めて聞く指摘で、大変驚きました。


かんな
初めまして、いつも新聞で「さつま人国誌」楽しみにしております。昨年の宝山ホールの講演会もうかがわせていただきました。貴久にかんして鹿児島の尚古集成館で講座ならあります(貴久生誕500年記念)。南日本新聞に3月1日に40名様とあったので、掲載されていた日のお昼に連絡したら、すでに定員になっておりました。ただ、キャンセル待ちや資料を入手したいという人が20人以上いらっしゃったそうで、新たに21日にも講座が開催されるそうです。そちらには参加できるので新たな話を聞くことができるので楽しみです。

御礼
桐野作人
かんなさん、はじめまして。

新聞連載を読んでいただき、また私の講演も聴いていただき、有難うございます。

貴久の講座についての情報も有難うございます。
おそらく講師は尚古集成館学芸員の岩川さんだと思います。岩川さんとは知り合いで、チラリと聞いておりました。
参加されたら、また感想でもお寄せ下さい。

忠国と貴久
桐野作人
ばんないさん

貴久については、かんなさんもお書きのように、尚古集成館が講座を開催してます。
義久の没後400年のときは何もなかったですけどね(笑)。

貴久について、忠国との類似性、共通性を指摘したのは、単に忠国の初名が貴久だったことに反応した思いつきだったのですが、忠国が弟の持久(薩州島津家沮)と抗争し、貴久もまた薩州家の実久と抗争したという共通点に、何か貴久が感じるところがあったのではないかという気がしているところです。

日新斎―貴久父子の家督の正統性をどこに求めるかという点を考えてみました。
もっとも、その前提としては、貴久の命名がいつで、誰によるものかという論証もしないといけないのですが(苦笑)。
相州家の当主たる日新斎の主導かなと一応考えているところです。





貴久生誕500年記念講座
かんな
夜分恐れ入ります。遅くなりましたが、21日の講座に出席いたしましたので、報告と言うほどでは有りませんがお伝えいたします。桐野先生のおっしゃる通り講師は岩川先生でした。講座を始める前に「今回この講座を行うのは個人的な後悔があるから」とおっしゃっていました。2011年に義久没後400年だったけど、2010年の年末に他県の新聞社から「来年、義久没後400年なので記事にしたい」と問い合わせがあって気がついたと、けれど(義久がなくなったのが1月なので)あと1月では準備ができないとイベントは断念したそうです。その代わり2011年の菊祭りの菊人形は義久と亀寿にしたそうです。

貴久生誕500年記念講座・2
かんな
(2011年も篤姫の菊人形だと思って行かなかったことを後悔しています。知っていれば…)講座では、桐野先生の「島津貴久の生誕500年上・下」も交えて貴久の生誕や勝久の養子になったことや悔い返し、逃避行伝説(山鳩や狐に助けられたこと)六地蔵塔、鉄砲伝来、ザビエル来鹿、初午祭、岩剣城の戦い、「さつま人国誌」でも出ていた貴久の死などを1時間半ほど講座で解説されました。講座の後で質問を受け付けていたのでザビエルが貴久に謁見した場所の候補に国分の清水城が入ってなかった事を聞いたら、岩川先生は初耳みたいな感じでした。


貴久生誕500年記念講座・3
かんな
長くなって申し訳ありません。これで最後です。岩川先生は貴久生誕の地の加世田に何かイベントをするのかを問い合わせたところ、「あくまで生まれたところであって、活躍したところは別なので特に何もしない」と言われたそうです。桐野先生やばんない様や私には残念なことになってしまいました。
追伸 岩川先生は桐野先生がいろいろな情報を県内外に発信してらっしゃるので大変ありがたいことだとおっしゃってました。あと先生には「義久のイベントや講座がなかったのは非常に残念です」とは言ってみました。こうなったら19年後の義久生誕500年記念にむけて、桐野先生のお力を持って、なにかイベントなどが開催されることを期待いたします。

菊人形
桐野作人
かんなさん、こんにちは。

岩川さんの講演報告、有難うございます。
19年後の義久生誕500年には、おそらく存命してません(苦笑)。

2011年の仙巌園の菊人形で、義久と亀寿が登場したのは私も見ました。写真もありますが、この欄には写真データをアップできないのが残念です。


菊人形残念です
かんな
夜分恐れ入ります。返信ありがとうございます。
>19年後の義久生誕500年には、おそらく存命してません(苦笑)
いえいえ、桐野先生はまだお若いではないですか。大丈夫ですよ。けど19年も待ちたくはないので、きりがよくなくてもいいので没後403年か404年記念をしてほしいものです。
菊人形の写真は残念です。泰平寺の銅像は見たくないので菊人形は見たかったですが。

菊人形
桐野作人
かんなさん

菊人形の写真データ、ご覧になりたいのであれば、メロアドを管理者だけ表示か、表紙にあるメールフォーマットでお送りいただければ、返信で添付します。

管理人のみ閲覧できます
-



ばんない
御無沙汰しております。

こちらの方を長いこと見ることが出来なくて、私の書き込みの後いろいろ情報が追加されていてビックリしました。かんな様ありがとうございました。
貴久は見捨てられてなかったんですね。しかし義久…気づかれたのが命日の1ヶ月前だったんですか…しかも気が付いたのは他県の新聞社(涙)

19年後は生きてるかどうかが微妙なところですが(苦笑)見てみたいですね、義久生誕500年イベント。

義久
桐野作人
ばんないさん

義久はやっぱり不遇ですねえ(笑)。
劇的な活躍とか、非業の最期とかもなく、むしろ、長く太守をつとめたことがかえって地味にしているのでしょうか?
秀吉の襲来、朝鮮出兵、関ヶ原の後始末といろいろ大変だったんですけどね。



かんな
お久しぶりでございます。しばらく体調をくずしており、ばんない様のコメントを見るのが遅くなりました。こちらこそ、お返事ありがとうございます。義久のことは問い合わせをした他県の新聞社ありがとうございますと思うようにしています。(本当は地元の新聞社に言ってほしかったところですが)
桐野先生だけでなく、ばんない様まで
>19年後は生きてるかどうかが微妙なところですが(苦笑) なんて言わないでくださいな。
みんなで義久生誕500年イベントを迎えましょう。(イベントがありますように)

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この記事へのコメント
島津「貴久」
こんにちは。

今年は貴久生誕500年とは感慨深いですね。鹿児島では何かイベントとかあるんでしょうか…ないんでしょうな…

知名度では息子の義弘に劣る貴久ですが、キリスト教伝来などの関係で教科書では知名度高いはずの貴久です、確かにもうちょっと注目浴びても良いと思います。

貴久の生誕500年は大坂の陣400年でもありますね。貴久が生まれてから100年後に天下の決着がついたというのも感慨深いです。大坂城天守閣などでは特別展などを行うようですが。ついこの間関ヶ原400年イベントしたと思ったのに、それからも既に14年とは…

「貴久」の命名には実は前例があったこと、またその前任者(?)にどうも自分をなぞらえた形跡があること、更にそれがご先祖の出自と関係ありそうなことは今回初めて聞く指摘で、大変驚きました。
2014/03/13(Thu) 17:21 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
初めまして、いつも新聞で「さつま人国誌」楽しみにしております。昨年の宝山ホールの講演会もうかがわせていただきました。貴久にかんして鹿児島の尚古集成館で講座ならあります(貴久生誕500年記念)。南日本新聞に3月1日に40名様とあったので、掲載されていた日のお昼に連絡したら、すでに定員になっておりました。ただ、キャンセル待ちや資料を入手したいという人が20人以上いらっしゃったそうで、新たに21日にも講座が開催されるそうです。そちらには参加できるので新たな話を聞くことができるので楽しみです。
2014/03/17(Mon) 23:27 | URL  | かんな #-[ 編集]
御礼
かんなさん、はじめまして。

新聞連載を読んでいただき、また私の講演も聴いていただき、有難うございます。

貴久の講座についての情報も有難うございます。
おそらく講師は尚古集成館学芸員の岩川さんだと思います。岩川さんとは知り合いで、チラリと聞いておりました。
参加されたら、また感想でもお寄せ下さい。
2014/03/18(Tue) 10:54 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
忠国と貴久
ばんないさん

貴久については、かんなさんもお書きのように、尚古集成館が講座を開催してます。
義久の没後400年のときは何もなかったですけどね(笑)。

貴久について、忠国との類似性、共通性を指摘したのは、単に忠国の初名が貴久だったことに反応した思いつきだったのですが、忠国が弟の持久(薩州島津家沮)と抗争し、貴久もまた薩州家の実久と抗争したという共通点に、何か貴久が感じるところがあったのではないかという気がしているところです。

日新斎―貴久父子の家督の正統性をどこに求めるかという点を考えてみました。
もっとも、その前提としては、貴久の命名がいつで、誰によるものかという論証もしないといけないのですが(苦笑)。
相州家の当主たる日新斎の主導かなと一応考えているところです。



2014/03/18(Tue) 11:04 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
貴久生誕500年記念講座
夜分恐れ入ります。遅くなりましたが、21日の講座に出席いたしましたので、報告と言うほどでは有りませんがお伝えいたします。桐野先生のおっしゃる通り講師は岩川先生でした。講座を始める前に「今回この講座を行うのは個人的な後悔があるから」とおっしゃっていました。2011年に義久没後400年だったけど、2010年の年末に他県の新聞社から「来年、義久没後400年なので記事にしたい」と問い合わせがあって気がついたと、けれど(義久がなくなったのが1月なので)あと1月では準備ができないとイベントは断念したそうです。その代わり2011年の菊祭りの菊人形は義久と亀寿にしたそうです。
2014/03/23(Sun) 22:41 | URL  | かんな #-[ 編集]
貴久生誕500年記念講座・2
(2011年も篤姫の菊人形だと思って行かなかったことを後悔しています。知っていれば…)講座では、桐野先生の「島津貴久の生誕500年上・下」も交えて貴久の生誕や勝久の養子になったことや悔い返し、逃避行伝説(山鳩や狐に助けられたこと)六地蔵塔、鉄砲伝来、ザビエル来鹿、初午祭、岩剣城の戦い、「さつま人国誌」でも出ていた貴久の死などを1時間半ほど講座で解説されました。講座の後で質問を受け付けていたのでザビエルが貴久に謁見した場所の候補に国分の清水城が入ってなかった事を聞いたら、岩川先生は初耳みたいな感じでした。
2014/03/23(Sun) 22:58 | URL  | かんな #-[ 編集]
貴久生誕500年記念講座・3
長くなって申し訳ありません。これで最後です。岩川先生は貴久生誕の地の加世田に何かイベントをするのかを問い合わせたところ、「あくまで生まれたところであって、活躍したところは別なので特に何もしない」と言われたそうです。桐野先生やばんない様や私には残念なことになってしまいました。
追伸 岩川先生は桐野先生がいろいろな情報を県内外に発信してらっしゃるので大変ありがたいことだとおっしゃってました。あと先生には「義久のイベントや講座がなかったのは非常に残念です」とは言ってみました。こうなったら19年後の義久生誕500年記念にむけて、桐野先生のお力を持って、なにかイベントなどが開催されることを期待いたします。
2014/03/23(Sun) 23:10 | URL  | かんな #-[ 編集]
菊人形
かんなさん、こんにちは。

岩川さんの講演報告、有難うございます。
19年後の義久生誕500年には、おそらく存命してません(苦笑)。

2011年の仙巌園の菊人形で、義久と亀寿が登場したのは私も見ました。写真もありますが、この欄には写真データをアップできないのが残念です。
2014/03/24(Mon) 11:18 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
菊人形残念です
夜分恐れ入ります。返信ありがとうございます。
>19年後の義久生誕500年には、おそらく存命してません(苦笑)
いえいえ、桐野先生はまだお若いではないですか。大丈夫ですよ。けど19年も待ちたくはないので、きりがよくなくてもいいので没後403年か404年記念をしてほしいものです。
菊人形の写真は残念です。泰平寺の銅像は見たくないので菊人形は見たかったですが。
2014/03/24(Mon) 23:13 | URL  | かんな #-[ 編集]
菊人形
かんなさん

菊人形の写真データ、ご覧になりたいのであれば、メロアドを管理者だけ表示か、表紙にあるメールフォーマットでお送りいただければ、返信で添付します。
2014/03/25(Tue) 14:34 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014/03/26(Wed) 00:19 |   |  #[ 編集]
御無沙汰しております。

こちらの方を長いこと見ることが出来なくて、私の書き込みの後いろいろ情報が追加されていてビックリしました。かんな様ありがとうございました。
貴久は見捨てられてなかったんですね。しかし義久…気づかれたのが命日の1ヶ月前だったんですか…しかも気が付いたのは他県の新聞社(涙)

19年後は生きてるかどうかが微妙なところですが(苦笑)見てみたいですね、義久生誕500年イベント。
2014/04/17(Thu) 16:34 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
義久
ばんないさん

義久はやっぱり不遇ですねえ(笑)。
劇的な活躍とか、非業の最期とかもなく、むしろ、長く太守をつとめたことがかえって地味にしているのでしょうか?
秀吉の襲来、朝鮮出兵、関ヶ原の後始末といろいろ大変だったんですけどね。
2014/04/21(Mon) 17:15 | URL  | 桐野作人 #hxjklqKc[ 編集]
お久しぶりでございます。しばらく体調をくずしており、ばんない様のコメントを見るのが遅くなりました。こちらこそ、お返事ありがとうございます。義久のことは問い合わせをした他県の新聞社ありがとうございますと思うようにしています。(本当は地元の新聞社に言ってほしかったところですが)
桐野先生だけでなく、ばんない様まで
>19年後は生きてるかどうかが微妙なところですが(苦笑) なんて言わないでくださいな。
みんなで義久生誕500年イベントを迎えましょう。(イベントがありますように)
2014/04/23(Wed) 23:33 | URL  | かんな #-[ 編集]
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