歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第319回
―肥薩国境での駆け引き―

昨14日、連載が更新されました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回は官兵衛と島津氏の対決の最後の回になります。
前回の日向口での戦いに続き、今回は肥後口での対陣について書きました。
こちらは官兵衛自身が国境まで来ています。加藤清正、鍋島直茂、立花宗茂らと同陣です。
これに島津方の義弘、忠長を合わせると、九州の戦国大名のオールスター勢ぞろいといっても過言ではありません。

本文でも書きましたが、立花宗茂が和睦調停役的な立場で奔走しています。
義弘に宛てた書状のなかで、徳川秀忠の来陣が予定されているので、早めに和睦したほうがいいと勧めています。
秀忠は関ヶ原決戦に遅参しただけに、汚名挽回の機会を望んでいたはずですから、九州への出陣も辞せずという気持ちだったと思います。
でも、結局、この出陣は実現しませんでした。
家康と島津方との和睦が予想以上に早く始まり、妥結しそうだったからかもしれません。何せ、徳川方は井伊直政、本多正信、山口直友らが島津方に同情的でした。これに近衛信尹なども協力していたからでしょう。

あるいはもっと単純に軍事的な理由があったと思います。
この時期、毛利輝元がまだ最終的に家康に従っていません。だから、秀忠は中国地方を通過するのが困難だったと思われます。その辺を読んだ家康が冬になるのを理由に官兵衛たちの撤退を命じ、和睦交渉に絞ったからでしょう。

次回は、官兵衛の息子長政と島津義弘との間で縁組が結ばれようとしていたことを書く予定です。

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【2014/04/15 17:09】 | さつま人国誌
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