歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第323回
―耐火煉瓦の製造に苦労―

連載が12日に更新されました。
告知遅くなってすみません。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすればご覧になれます。

今回は、島津斉彬の集成館事業で反射炉建設に関わった竹下清右衛門がその経験を買われて水戸藩の反射炉建設のために出向した苦労話を書きました。
蘭学者人脈によって招聘されたようですが、耐火煉瓦の製造に苦心しています。
また待遇もあまりよくなったようです。
仕事は反射炉建設だけで終わらず、反射炉を使っての大砲製造までやらされたようです。

清右衛門はキャリアも古いですが、明治になってからもあまり立身出世していません。
陸軍大尉止まりでした。
墓は青山墓地にあるそうですが、探せていません。

次回はモリソン号事件の余波で、山川港に入ったモリソン号の顛末について。

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【2014/05/17 17:05】 | さつま人国誌
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あお
この時代って、ちょっとでも技術ができると無茶苦茶色んなことさせますよね。
蘭学者だから何でもできるだろうって医者に船作らせようとしたり…。
待遇も藩によるんでしょうが、招聘しておきながらその待遇は可哀想ですね。その上出世もしなかったって…不憫ですね。
お墓参りしてあげたいです。

お墓
桐野
蘭学者は当時、オールマイティを要求されましたものね。それほど、当時の日本では先端的な学問・技術だったからでしょうが。
もっとも、その後、英語が普及すると主役の座を譲ってますけどね。

竹下清右衛門の墓は青山墓地にあることはわかっていて、その遠い縁者の方と探したのですが、見つかりませんでした。やっぱり直系の子孫にたどり着かないと墓の発見は難しいかも知れません。


竹下清右衛門の子孫です
石原 基規
今度水戸に出張のため、ご先祖様ゆかりの反射炉に関して検索していたところ、貴ブログに出会いました。
現在竹下ではなく石原を名乗っていますが、これは清右衛門の二男が石原家に養子に出された直後、竹下家の長男が死んだため、二男(私の先祖)が竹下家に戻って家督を継いだのですが、石原をそのままなのっていたと聞いています。
竹下清右衛門の墓は、確かに青山墓地の石原家先祖代々の墓の隣に並んであります。
これは陸軍中佐だった祖父が、六本木龍土町に住んでいた時に建てたそうです。
現在私は新潟に住んでいます。祖父が新発田連隊に転勤してきたとき祖母と出会い結婚。祖父の戦死後一家が祖母の実家である新潟に住んだためです。
現在私の父がなくなっており、私もあまり詳しくはないのですが、西南戦争のとき竹下清右衛門が大砲大尉として従軍したときの資料とかも残っています。
疑問に答えることができたでしょうか?

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コメント
この記事へのコメント
この時代って、ちょっとでも技術ができると無茶苦茶色んなことさせますよね。
蘭学者だから何でもできるだろうって医者に船作らせようとしたり…。
待遇も藩によるんでしょうが、招聘しておきながらその待遇は可哀想ですね。その上出世もしなかったって…不憫ですね。
お墓参りしてあげたいです。
2014/05/21(Wed) 02:55 | URL  | あお #-[ 編集]
お墓
蘭学者は当時、オールマイティを要求されましたものね。それほど、当時の日本では先端的な学問・技術だったからでしょうが。
もっとも、その後、英語が普及すると主役の座を譲ってますけどね。

竹下清右衛門の墓は青山墓地にあることはわかっていて、その遠い縁者の方と探したのですが、見つかりませんでした。やっぱり直系の子孫にたどり着かないと墓の発見は難しいかも知れません。
2014/05/27(Tue) 09:30 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
竹下清右衛門の子孫です
今度水戸に出張のため、ご先祖様ゆかりの反射炉に関して検索していたところ、貴ブログに出会いました。
現在竹下ではなく石原を名乗っていますが、これは清右衛門の二男が石原家に養子に出された直後、竹下家の長男が死んだため、二男(私の先祖)が竹下家に戻って家督を継いだのですが、石原をそのままなのっていたと聞いています。
竹下清右衛門の墓は、確かに青山墓地の石原家先祖代々の墓の隣に並んであります。
これは陸軍中佐だった祖父が、六本木龍土町に住んでいた時に建てたそうです。
現在私は新潟に住んでいます。祖父が新発田連隊に転勤してきたとき祖母と出会い結婚。祖父の戦死後一家が祖母の実家である新潟に住んだためです。
現在私の父がなくなっており、私もあまり詳しくはないのですが、西南戦争のとき竹下清右衛門が大砲大尉として従軍したときの資料とかも残っています。
疑問に答えることができたでしょうか?
2014/08/21(Thu) 15:01 | URL  | 石原 基規 #-[ 編集]
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