歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」本日更新。第411回「古田織部と島津家」。
詳しくは、ここをクリックして下さい。

最近は「へうげもの」で知られている古田織部。あまり知られていない島津家との交流について書きました。とくに最初の出会いは天正3年(1575)で信長時代と早い。

上京した島津家久が帰途につくとき、道案内したのが古田左介こと織部。家久は上鳥羽から下鳥羽まで織部に案内されている。なぜ織部が登場するのかよくわからないが、連歌師の里村紹巴師弟と友人関係にあったからか。島津義弘も息忠恒も織部と交流し、いろいろ指南を受けたことを紹介した。

織部の最期は大坂夏の陣の直後で、豊臣方への内通を疑われたもの。御内の木村宗喜が内通していたというが、なぜ織部父子
にまで罪が及んだのか? また一説によれば、織部が島津方と一味して洛中放火を企てていたという噂まであったとか。織部焼も銀座のデパートでの展示を拝観した。

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【2016/05/18 23:40】 | さつま人国誌
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織部燈籠
ながお
 桐野様

こんにちは。

「へうげもの」は読んでいないので登場したかどうかわかりませんが、古田織部が考案したとされる織部燈籠という不思議なものがあります。別名切支丹燈籠と呼ばれていますがキリスト教とは無関係だとされています。
ところが、先日ご紹介したジュゼッペ・キアラの墓石を戦時中にサレジオ神学院の神父さんが雑司が谷墓地で発見した時に、この燈籠がそばにあったのです。
誰かが他から持ってきたのかも知れませんし、この一例だけではなんともですが、こんな不思議なものを残すところが「へうげもの」かも知れません。


情報御礼
桐野
ながおさま
お知らせ有難うございます。
織部燈籠、いまも雑司ヶ谷墓地にあるのでしょうか? もしあれば、そのうち観に行きたいものです。

織部燈籠②
ながお
桐野様

写真には写っていますが、その現物は現在行方不明

とのことです。

織部燈籠自体は各地にありますので探していただけ

れば都内の寺院にもあります。

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コメント
この記事へのコメント
織部燈籠
 桐野様

こんにちは。

「へうげもの」は読んでいないので登場したかどうかわかりませんが、古田織部が考案したとされる織部燈籠という不思議なものがあります。別名切支丹燈籠と呼ばれていますがキリスト教とは無関係だとされています。
ところが、先日ご紹介したジュゼッペ・キアラの墓石を戦時中にサレジオ神学院の神父さんが雑司が谷墓地で発見した時に、この燈籠がそばにあったのです。
誰かが他から持ってきたのかも知れませんし、この一例だけではなんともですが、こんな不思議なものを残すところが「へうげもの」かも知れません。
2016/05/19(Thu) 14:22 | URL  | ながお #-[ 編集]
情報御礼
ながおさま
お知らせ有難うございます。
織部燈籠、いまも雑司ヶ谷墓地にあるのでしょうか? もしあれば、そのうち観に行きたいものです。
2016/05/25(Wed) 10:08 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
織部燈籠②
桐野様

写真には写っていますが、その現物は現在行方不明

とのことです。

織部燈籠自体は各地にありますので探していただけ

れば都内の寺院にもあります。
2016/05/26(Thu) 23:34 | URL  | ながお #-[ 編集]
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