歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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昨日の大河ドラマ「風林火山」。
最近はあまり観ていないので、第何回かわかりません。

この間の勘助と由布姫のやりとりはうざったくて見る気も書く気も失せます。気持ちが猫の目のように変わるじゃじゃ馬姫ですなあ。
何度もいうように、その責の大半は脚本にあると思います。多少うまい演技をしたとて、脚本のお粗末さをカバーできません。

それはさておき、久しぶりに書く気になったのは、ちょっとした疑問から。

今川義元から北条氏康に宛てた起請文が登場した。
いかにもそれらしい牛王(玉)宝印(ごおうほういん)の料紙だった。もしかして本物? 熊野の牛王宝印紙だろうか? 東国だと戸隠山あたりも牛王宝印を出しているらしいが。

ただ表裏のどちら側に書いてあったか、よくわからなかった。
ふつうは、裏に書くはずだが……。
牛王宝印の料紙を翻してみせたから、一応、表裏の意味を知っているらしいが……。

で、問題は宛所。たしか、

北条氏康殿

と書いてあった。
これはいかんだろう。実名は避けないと。

北条左京大夫殿

と書くべきだろうに。
せっかく本物らしい牛王宝印紙を用いながら、ちょっと詰めが甘かったのではないか。時代考証の柴辻先生が見たら、すぐ指摘しただろうに。



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【2007/06/04 21:28】 | 風林火山
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時代考証者
春長軒
桐野さん、こんばんは
小生も見ました。たしか、二度アップされました。ただし、宛名は「北条氏康殿」ではなく「北条新九郎氏康」とありました。柴辻さんは、この文書の作成には深く関わっていないと思います。NHKの美術部スタッフがある程度柴辻さんなどから意見を聞きながら、独自の判断で作ったのだと思います。柴辻さんが見過ごすはずはないと思います。戦国期の研究者の中でも、柴辻さんほど古文書に精通している方はいないと思います。すくなくとも、古文書に限って云えば、去年の時代考証の先生とは格段の差があると思います。
これはNHK制作側の体質の問題だと思います。
美術部には、書道の専門家は所属していても、古文書の専門者がいるわけではないので。

とは言え、宛名の表記は明らかに正しくないので、ややもすれば制作側や、時代・風俗考証者のお二人の責任に帰せられるかもしれません。
ただし、今日の大河ドラマは単なるホームドラマと化した面もあるので、昔のように歴史の勉強に益することはなくなったように思います。


新九郎でよかった
桐野
春長軒さん、こんばんは。

ご指摘有難うございます。
「北条新九郎氏康殿」でしたか。
一応、通称(仮名)+実名ですが、これでも、実名を使っているかぎり、間違いじゃないですかね。

あと、新九郎という仮名の名乗りですが、氏康は天文10年(1541)に父氏綱の死と共に家督を継ぎ、ドラマの進行時点では同14年と、4年も経過していますから、左京大夫を名乗ってもおかしくないですね。

『戦国遺文 後北条氏編』一を見てみましたが、天文10
~14年頃の氏康の発給文書は「氏康」としか署名がないので、よくわかりません。
ただ、氏綱が死去してから数カ月後の天文10年11月発給の氏綱文書に、朱筆で北条左京大夫と書き込んであります(200号文書)。もっとも、後筆でしょうから、証拠にはならないでしょうね。

念のため、『戦国人名辞典』の氏康の項を見たところ、「天文20年(1551)末頃、左京大夫に任官したらしい」とありました。
となると、河東の一乱のときは、新九郎だったみたいです。ドラマの起請文の仮名は正しかったようです。
この点は私が訂正したほうがよいようです。

でも、やっぱり氏康は違うと思います。「北条新九郎殿」でいいのでは。
好意的に解釈すれば、「北条新九郎」では視聴者が誰だかわからないだろうからと、氏康を付加したのかもしれませんが。



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この記事へのコメント
時代考証者
桐野さん、こんばんは
小生も見ました。たしか、二度アップされました。ただし、宛名は「北条氏康殿」ではなく「北条新九郎氏康」とありました。柴辻さんは、この文書の作成には深く関わっていないと思います。NHKの美術部スタッフがある程度柴辻さんなどから意見を聞きながら、独自の判断で作ったのだと思います。柴辻さんが見過ごすはずはないと思います。戦国期の研究者の中でも、柴辻さんほど古文書に精通している方はいないと思います。すくなくとも、古文書に限って云えば、去年の時代考証の先生とは格段の差があると思います。
これはNHK制作側の体質の問題だと思います。
美術部には、書道の専門家は所属していても、古文書の専門者がいるわけではないので。

とは言え、宛名の表記は明らかに正しくないので、ややもすれば制作側や、時代・風俗考証者のお二人の責任に帰せられるかもしれません。
ただし、今日の大河ドラマは単なるホームドラマと化した面もあるので、昔のように歴史の勉強に益することはなくなったように思います。
2007/06/04(Mon) 23:59 | URL  | 春長軒 #-[ 編集]
新九郎でよかった
春長軒さん、こんばんは。

ご指摘有難うございます。
「北条新九郎氏康殿」でしたか。
一応、通称(仮名)+実名ですが、これでも、実名を使っているかぎり、間違いじゃないですかね。

あと、新九郎という仮名の名乗りですが、氏康は天文10年(1541)に父氏綱の死と共に家督を継ぎ、ドラマの進行時点では同14年と、4年も経過していますから、左京大夫を名乗ってもおかしくないですね。

『戦国遺文 後北条氏編』一を見てみましたが、天文10
~14年頃の氏康の発給文書は「氏康」としか署名がないので、よくわかりません。
ただ、氏綱が死去してから数カ月後の天文10年11月発給の氏綱文書に、朱筆で北条左京大夫と書き込んであります(200号文書)。もっとも、後筆でしょうから、証拠にはならないでしょうね。

念のため、『戦国人名辞典』の氏康の項を見たところ、「天文20年(1551)末頃、左京大夫に任官したらしい」とありました。
となると、河東の一乱のときは、新九郎だったみたいです。ドラマの起請文の仮名は正しかったようです。
この点は私が訂正したほうがよいようです。

でも、やっぱり氏康は違うと思います。「北条新九郎殿」でいいのでは。
好意的に解釈すれば、「北条新九郎」では視聴者が誰だかわからないだろうからと、氏康を付加したのかもしれませんが。

2007/06/05(Tue) 00:19 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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