歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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新聞報道によれば、被葬者不明とされた山科の西野山古墓がそうだという。
事実だとすれば、大きな発見だと思う。

ひとつ気になったのは、京都新聞の記事。
「73年には民間の郷土史研究の論文」ですでに発表されていたという。つまり、今回の調査の結論はオリジナルではないことになる。しかも30年以上前に同じ方法で推定したというのだから、この在野の論文発表者の業績がもっと評価されてもいいのではないか。せめて名前くらい出してもいいのでは。
「民間」と「大学」の違いが記事に反映しているのだろうか。

ちなみに、他の新聞にはその点が書かれていない。
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【2007/06/05 16:21】 | 雑記
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調所
公的肩書きの無い研究者などの方が的確な判断を下せることは、薩摩の刀装具や薩摩焼のコトを調べてきて痛感しております。特に私が調べている分野は大学の先生や博物館の学芸員より町の古老や古道具屋の言ってることの方が、後に出てきた資料で正しかった、などということも有ります。薩摩の歴史全般についても桐野さんより詳しい研究者が鹿児島の大学や博物館にいらっしゃるか疑問です。

いえいえ
桐野
調所さん、どうも。
私の守備範囲である信長関係でも、在野にアカデミズムと遜色ない研究者がいますね。
薩摩関係に関しては、大学や資料館などに私などよりずっと詳しい方がいらっしゃいますよ。あえて名前は出しませんが、拙著「島津義久」執筆にあたっても、そういう研究者にいろいろ教えてもらいました。そういう方々にもっと本や論文を書いていただけたらと思います。
要は、在野だろうとアカデミズムだろうと、できる人はできるということではないでしょうか。



ばんない
こんばんは。

その島津氏のことで、島津氏に関わりのある某博物館の学芸員でありながら、ある戦国島津氏の一般書に思いっきり間違いを書いた人を知っています。

その一般書が改版されてからは、その箇所は直ってるんでしょうか。未確認なのですが。

桐野さんはお気づきだと思うので、以下ノーコメントと言うことで(汗)


びわこ
桐野さん、こんにちは。

そういえば、今年のはじめ、『丹波篠山で国内最大級の恐竜化石発見』というニュースが新聞紙面のトップを飾りました。

専門家の間では、この篠山層群の地層からは出るだろうとずっと言われていたにもかかわらず、その突破口を見つけたのは、専門家ではなく、「いつか自分も見つける」と言っていた在野の研究家たちでした。

新聞では『化石発見 恐竜探し20年のロマン』と見出しをつけて、発見した元高校の先生である在野の研究者を称えていました。

ロマンを持って、私も自分の研究テーマに取り組んで行こうと思った次第・・・

なんか、コメントの内容が逸れてしまいました(笑)

その研究者の名前は、
中村武生
桐野さん
中村武生です。
 当該の件、その研究者の論文は、鳥居治夫「山城国宇治郡条里に関する考察」(『近江』第4号 近江考古学研究会 1973)かと存じます。
 
 「在野だろうとアカデミズムだろうと、できる人はできる」、まったく賛成です。

 なお今回の報告者吉川真司さん「できる人」です。この宇治郡条里の研究は、過去に「山階寺」跡の推定に成功しています。

 これにより鎌足の墓が推定可能になったわけですから、きわめて画期的です。「大宅廃寺」の可能性はふっとんでしまった。
 現在の山科区厨子奥付近です。
 
 なお鎌足の墓に関連してひとこと。
 高槻市阿武山古墳が鎌足の墓とされていますが論外です。

 これなんかも1987年11月、アカデミズムの成果として大々的に報じられいまでも通説化していますが、文献史料の読み方をしっていたら誰でもありえないことがわかります。
 
 「できるひと・できないひと」論にひとこと参加させていただきました。失礼しました。

よくあることで
桐野
ばんないさん、どうも。

その「一般書」なるもの、私はよく知らないのですが……。もしかして私も書いているとか。

まあ、専門家の方もたまには間違いや勘違いもありますよ。私なんかしょっちゅうで、あとで冷や汗かいたことが何度もありますから、人様のことは言えませぬ(爆)。


継続こそ力なり
桐野
びわこさん、お久しぶりです。

>ロマンを持って、私も自分の研究テーマに取り組んで行こうと思った次第・・・

自分のテーマにずっと取り組まれるのは素敵だと思います。私の友人でも、ずっと信長を追いかけていて、すごい史料を発見した人がいます。

継続こそ力ですが、私は浮気性なのか、いまいちひとつのテーマに集中できない質なんですよね。これも職業にしてしまったゆえの、貧乏性なのかもしれませんが。



鳥居治夫氏
桐野
中村武生さん、どうも。

在野の研究者のお名前と論文名、ご教示有難うございます。城郭や幕末だけでなく、古代史まで詳しいですね。
貴ブログの詳細な論評も拝読しました。

寺田屋再建問題、いよいよ佳境ですね。今後の展開を楽しみにしております。新しい方法論というかアプローチではないかと思います。幕末と現代が架橋されるようで、歴史の醍醐味ですね。

先行研究を探すのが難しい
ばんない
こんばんは。

中村さんご指摘の『近江』という雑誌を国立国会図書館で検索したのですが、1巻1号(1973.1)しか所蔵していないですね。私の在籍した某大学の図書館も調べましたが、やはりこの1巻1号しかもってませんでした。

以下は推測ですが
この『近江』はかなりマイナーな学術雑誌で、そのためにこのような先行研究があることを吉川氏が知らなかった可能性は高いと思われます。『京都新聞』は京都・滋賀を地盤として購読者をかなり持っている新聞社ですから、おそらく読者からの通報などで『近江』に関する情報を得たのではないでしょうか。

先行研究を知らなかったことを指摘された論文としては、やはり古代史ですが、直木孝次郎氏の「近江朝末年に於ける日唐関係」というのがあります。天智天皇晩年に突如やってきた大人数の使節の実体を「白村江の戦いで捕縛された捕虜の返還+補償の取り立て」とした興味深い物ですが、これも立命館大(当時)の松田好弘氏の先行研究があったのですが、その論文が直木氏の目に触れることはなく、後で当時立命館大にいた山尾幸久氏から指摘があって、直木氏は論文を大きく修正されてます。

ブログのテーマからずれるのでこの話題はこれにて失礼します。

あとノーコメントと宣言しましたが、気にされているようなので(苦笑)
>その「一般書」なるもの、私はよく知らないのです
>が……。もしかして私も書いているとか。
はい!その本には桐野さんもコラムを掲載されていた記憶があります(汗)
では、以後ホントにノーコメントと言うことで。触らぬ神に祟り無し。

山尾幸久氏
桐野
ばんないさん、どうも。

先行研究をすべて把握するのは難しいですね。私も拙文を書いた経験からよくわかります。

京都新聞の情報は、むしろ、吉川氏からこんな先行研究もありますと断ったうえで、コメントしたんじゃないですかね。新聞記者が知りうる情報ではないような気がします。むしろ、吉川氏が学問的良心を示されたかと推測しますが。

山尾幸久氏、懐かしい名前です。
この先生には、専攻は違いましたが、ひとからならぬお世話になりました。私の一身上の問題を親身になって心配してくれた二人の先生のうちのお一人です。足を向けて寝られません(爆)。


続報
桐野
京都新聞が30年前の論文発表者の鳥居治夫氏の記事を新たに掲載した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070612-00000014-kyt-l26

やはり、吉川信司氏が先行研究として取材時に鳥居氏の論文を紹介していたようである。吉川氏の態度に拍手。
もっとも、同じ方法をとっても、所在地の特定に若干ズレがあったようで、吉川氏の調査はそのあたりを補正したということだろうか。

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コメント
この記事へのコメント
公的肩書きの無い研究者などの方が的確な判断を下せることは、薩摩の刀装具や薩摩焼のコトを調べてきて痛感しております。特に私が調べている分野は大学の先生や博物館の学芸員より町の古老や古道具屋の言ってることの方が、後に出てきた資料で正しかった、などということも有ります。薩摩の歴史全般についても桐野さんより詳しい研究者が鹿児島の大学や博物館にいらっしゃるか疑問です。
2007/06/06(Wed) 09:53 | URL  | 調所 #-[ 編集]
いえいえ
調所さん、どうも。
私の守備範囲である信長関係でも、在野にアカデミズムと遜色ない研究者がいますね。
薩摩関係に関しては、大学や資料館などに私などよりずっと詳しい方がいらっしゃいますよ。あえて名前は出しませんが、拙著「島津義久」執筆にあたっても、そういう研究者にいろいろ教えてもらいました。そういう方々にもっと本や論文を書いていただけたらと思います。
要は、在野だろうとアカデミズムだろうと、できる人はできるということではないでしょうか。
2007/06/06(Wed) 11:58 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
こんばんは。

その島津氏のことで、島津氏に関わりのある某博物館の学芸員でありながら、ある戦国島津氏の一般書に思いっきり間違いを書いた人を知っています。

その一般書が改版されてからは、その箇所は直ってるんでしょうか。未確認なのですが。

桐野さんはお気づきだと思うので、以下ノーコメントと言うことで(汗)
2007/06/06(Wed) 23:27 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
桐野さん、こんにちは。

そういえば、今年のはじめ、『丹波篠山で国内最大級の恐竜化石発見』というニュースが新聞紙面のトップを飾りました。

専門家の間では、この篠山層群の地層からは出るだろうとずっと言われていたにもかかわらず、その突破口を見つけたのは、専門家ではなく、「いつか自分も見つける」と言っていた在野の研究家たちでした。

新聞では『化石発見 恐竜探し20年のロマン』と見出しをつけて、発見した元高校の先生である在野の研究者を称えていました。

ロマンを持って、私も自分の研究テーマに取り組んで行こうと思った次第・・・

なんか、コメントの内容が逸れてしまいました(笑)
2007/06/07(Thu) 04:52 | URL  | びわこ #-[ 編集]
その研究者の名前は、
桐野さん
中村武生です。
 当該の件、その研究者の論文は、鳥居治夫「山城国宇治郡条里に関する考察」(『近江』第4号 近江考古学研究会 1973)かと存じます。
 
 「在野だろうとアカデミズムだろうと、できる人はできる」、まったく賛成です。

 なお今回の報告者吉川真司さん「できる人」です。この宇治郡条里の研究は、過去に「山階寺」跡の推定に成功しています。

 これにより鎌足の墓が推定可能になったわけですから、きわめて画期的です。「大宅廃寺」の可能性はふっとんでしまった。
 現在の山科区厨子奥付近です。
 
 なお鎌足の墓に関連してひとこと。
 高槻市阿武山古墳が鎌足の墓とされていますが論外です。

 これなんかも1987年11月、アカデミズムの成果として大々的に報じられいまでも通説化していますが、文献史料の読み方をしっていたら誰でもありえないことがわかります。
 
 「できるひと・できないひと」論にひとこと参加させていただきました。失礼しました。
2007/06/07(Thu) 10:11 | URL  | 中村武生 #-[ 編集]
よくあることで
ばんないさん、どうも。

その「一般書」なるもの、私はよく知らないのですが……。もしかして私も書いているとか。

まあ、専門家の方もたまには間違いや勘違いもありますよ。私なんかしょっちゅうで、あとで冷や汗かいたことが何度もありますから、人様のことは言えませぬ(爆)。
2007/06/07(Thu) 13:36 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
継続こそ力なり
びわこさん、お久しぶりです。

>ロマンを持って、私も自分の研究テーマに取り組んで行こうと思った次第・・・

自分のテーマにずっと取り組まれるのは素敵だと思います。私の友人でも、ずっと信長を追いかけていて、すごい史料を発見した人がいます。

継続こそ力ですが、私は浮気性なのか、いまいちひとつのテーマに集中できない質なんですよね。これも職業にしてしまったゆえの、貧乏性なのかもしれませんが。

2007/06/07(Thu) 13:40 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
鳥居治夫氏
中村武生さん、どうも。

在野の研究者のお名前と論文名、ご教示有難うございます。城郭や幕末だけでなく、古代史まで詳しいですね。
貴ブログの詳細な論評も拝読しました。

寺田屋再建問題、いよいよ佳境ですね。今後の展開を楽しみにしております。新しい方法論というかアプローチではないかと思います。幕末と現代が架橋されるようで、歴史の醍醐味ですね。
2007/06/07(Thu) 13:49 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
先行研究を探すのが難しい
こんばんは。

中村さんご指摘の『近江』という雑誌を国立国会図書館で検索したのですが、1巻1号(1973.1)しか所蔵していないですね。私の在籍した某大学の図書館も調べましたが、やはりこの1巻1号しかもってませんでした。

以下は推測ですが
この『近江』はかなりマイナーな学術雑誌で、そのためにこのような先行研究があることを吉川氏が知らなかった可能性は高いと思われます。『京都新聞』は京都・滋賀を地盤として購読者をかなり持っている新聞社ですから、おそらく読者からの通報などで『近江』に関する情報を得たのではないでしょうか。

先行研究を知らなかったことを指摘された論文としては、やはり古代史ですが、直木孝次郎氏の「近江朝末年に於ける日唐関係」というのがあります。天智天皇晩年に突如やってきた大人数の使節の実体を「白村江の戦いで捕縛された捕虜の返還+補償の取り立て」とした興味深い物ですが、これも立命館大(当時)の松田好弘氏の先行研究があったのですが、その論文が直木氏の目に触れることはなく、後で当時立命館大にいた山尾幸久氏から指摘があって、直木氏は論文を大きく修正されてます。

ブログのテーマからずれるのでこの話題はこれにて失礼します。

あとノーコメントと宣言しましたが、気にされているようなので(苦笑)
>その「一般書」なるもの、私はよく知らないのです
>が……。もしかして私も書いているとか。
はい!その本には桐野さんもコラムを掲載されていた記憶があります(汗)
では、以後ホントにノーコメントと言うことで。触らぬ神に祟り無し。
2007/06/07(Thu) 23:22 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
山尾幸久氏
ばんないさん、どうも。

先行研究をすべて把握するのは難しいですね。私も拙文を書いた経験からよくわかります。

京都新聞の情報は、むしろ、吉川氏からこんな先行研究もありますと断ったうえで、コメントしたんじゃないですかね。新聞記者が知りうる情報ではないような気がします。むしろ、吉川氏が学問的良心を示されたかと推測しますが。

山尾幸久氏、懐かしい名前です。
この先生には、専攻は違いましたが、ひとからならぬお世話になりました。私の一身上の問題を親身になって心配してくれた二人の先生のうちのお一人です。足を向けて寝られません(爆)。
2007/06/07(Thu) 23:48 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
続報
京都新聞が30年前の論文発表者の鳥居治夫氏の記事を新たに掲載した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070612-00000014-kyt-l26

やはり、吉川信司氏が先行研究として取材時に鳥居氏の論文を紹介していたようである。吉川氏の態度に拍手。
もっとも、同じ方法をとっても、所在地の特定に若干ズレがあったようで、吉川氏の調査はそのあたりを補正したということだろうか。
2007/06/13(Wed) 01:03 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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