歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第10回
―秀吉を前に「神慮」迷走―

拙コラムが同紙サイトで更新されました。右下のリンク欄からたどっていけます。

本来、くじ取りが島津氏の分散的な大名権力を補完し、荘厳化する機能を担っていたわけですが、秀吉という未曾有の敵を前にして「神慮」も動揺せざるをえませんでした。
とくに、太守島津義久が家中の主戦論を抑制し、豊後侵攻の矛先を他に向けるために、「神慮」を強引に利用したことにより、「神慮」の権威を自ら引き下げることになります。

分量の関係でコラムに書けなかったことを補足しますと、伊集院忠真が挙兵した庄内の乱で、義久が女婿の忠恒にくじ取りをするよう諫言しますが、忠恒がそれを無視したため、義久は「まことに心もとない」とぼやいています。
すでにくじ取りの役目は終わっていたことがうかがえます。

さて、次回からは2回にわたって、島津家久を書こうと思っています。もちろん、中務大輔のほうです。とくに毒殺問題を取り上げるつもりです。乞うご期待。
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【2007/06/09 17:42】 | さつま人国誌
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島津家のおみくじ
ばんない
コラム拝読させていただきました。

戦国時代における島津家のくじについては一般書では『呪術と占星の戦国史』(小和田哲男著)、秀吉侵攻直前のくじの迷走については『薩摩島津氏』(三木靖著)あたりでも取り上げてますが、くじを使った戦国大名が島津氏だけというのは意外でした。織田信長ですら桶狭間の合戦直前に熱田神宮へ参拝しているなど、戦国大名と神頼みは切り離せないと考えていたので。

あと、コラムに載せられなかった補足は興味深く読ませていただきました。忠恒と義久の間にはそういう確執もありましたか(苦笑)。庄内の乱では忠恒が火薬の扱いで不手際を犯して義久の激怒を食らうという事件もあったようですね。

くじもそうですが、耳川(高城川)の戦いの時の「竜田川」の和歌の話や、晩年の雨乞いの和歌の話など、義久の行動は中世的というより更にさかのぼって古代的な印象さえ受けます。

くじ取りの意味
桐野
ばんないさん、こんばんは。

戦国島津氏のくじ取りについては、小和田・三木両氏のほか、原昭午氏、福島金治氏なども言及されていますね。
くじ取りを単なる呪術と見るだけでは不十分だと思います。やはり秀吉の九州下向直前の天正14年(1586)に一番多くくじ取りが行われていることは、くじ取りが非常に政治的な意味合いをもっていたことの裏返しだと思っております。
このなかでは、福島氏がくじ取りと島津氏の大名権力の関係から論じられているのと、三木氏が天正14年のくじ取りに義久の動揺を見ているのが注目すべき点かと思います。
小生はさらに義久の動揺の意味するものは何かという点について、秀吉とという未曾有の敵の存在もさることながら、一門や譜代門閥層のなかに太守義久の命に従わない者が出てきたことを大名権力の危機ととらえて、それを克服する手段として、また秀吉との対決を回避する手段としてくじ取りを利用するという挙に出たことが重要ではないかと思いました。

竜田川の和歌などご指摘のとおりで、私も拙著に取り入れたことがあります。ほかにも伏針とか面白い呪術を使っていますね。その心性を誰か明らかにしてくれないですかね(笑)。

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島津家のおみくじ
コラム拝読させていただきました。

戦国時代における島津家のくじについては一般書では『呪術と占星の戦国史』(小和田哲男著)、秀吉侵攻直前のくじの迷走については『薩摩島津氏』(三木靖著)あたりでも取り上げてますが、くじを使った戦国大名が島津氏だけというのは意外でした。織田信長ですら桶狭間の合戦直前に熱田神宮へ参拝しているなど、戦国大名と神頼みは切り離せないと考えていたので。

あと、コラムに載せられなかった補足は興味深く読ませていただきました。忠恒と義久の間にはそういう確執もありましたか(苦笑)。庄内の乱では忠恒が火薬の扱いで不手際を犯して義久の激怒を食らうという事件もあったようですね。

くじもそうですが、耳川(高城川)の戦いの時の「竜田川」の和歌の話や、晩年の雨乞いの和歌の話など、義久の行動は中世的というより更にさかのぼって古代的な印象さえ受けます。
2007/06/10(Sun) 00:48 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
くじ取りの意味
ばんないさん、こんばんは。

戦国島津氏のくじ取りについては、小和田・三木両氏のほか、原昭午氏、福島金治氏なども言及されていますね。
くじ取りを単なる呪術と見るだけでは不十分だと思います。やはり秀吉の九州下向直前の天正14年(1586)に一番多くくじ取りが行われていることは、くじ取りが非常に政治的な意味合いをもっていたことの裏返しだと思っております。
このなかでは、福島氏がくじ取りと島津氏の大名権力の関係から論じられているのと、三木氏が天正14年のくじ取りに義久の動揺を見ているのが注目すべき点かと思います。
小生はさらに義久の動揺の意味するものは何かという点について、秀吉とという未曾有の敵の存在もさることながら、一門や譜代門閥層のなかに太守義久の命に従わない者が出てきたことを大名権力の危機ととらえて、それを克服する手段として、また秀吉との対決を回避する手段としてくじ取りを利用するという挙に出たことが重要ではないかと思いました。

竜田川の和歌などご指摘のとおりで、私も拙著に取り入れたことがあります。ほかにも伏針とか面白い呪術を使っていますね。その心性を誰か明らかにしてくれないですかね(笑)。
2007/06/11(Mon) 00:36 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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