歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

本日(15日)、W大学院の某ゼミに出席。
後北条氏研究で有名なK先生のゼミである。

勉強会仲間のW大院生の方から上井覚兼日記を読んでいると聞いて、ぜひ参加したいのだがとお願いしたところ、K先生に了解をとってくれた。
もっとも、K先生がなぜ上井覚兼をやる気になったのかはわからない。しかし、同日記を系統だって読んでいなかったから、いい機会だと思って参加することにした。

W大学のキャンパスで勉強するのは、10年くらい前に参加していた織豊期の公家勧修寺晴豊の日記『晴豊公記』の輪読会以来だ。懐かしい。

ゼミは順番に担当者を決めて発表する形式。
担当範囲を読んで、大意、語句・人名などの注釈、さらに日記の記述と関連する史料(『旧記雑録後編』など)を添付して解説するというやり方だった。

読んでいる時期は、同日記上巻の天正2年(1574)8月条あたりである。
庄内の北郷氏と大隅の肝付氏の所領紛争が島津義久のところに持ち込まれ、守護としてこの問題をどのように処理するのかというところが焦点だった。
肝付一族出身である浄光明寺の住職、其阿西嶽が周旋に関わっており、その立場や役割がどのようなものだったかなど、議論が盛り上がった。
印象としては、伊東氏の勢力後退により、肝付氏の孤立が深まっているように感じられた。そのため、肝付氏は老臣の薬丸兼持をわざわざ鹿児島まで派遣して、この所領紛争を義久に解決してもらうことで、何とか窮地を脱しようと、老中や奏者の覚兼などに懸命の工作をしているように見えた。

浄光明寺といえば、現在は南洲神社で西郷はじめ西南戦争戦死者の墓所だよなと思いながら、みなさんの議論を聞いていた。

上記のような私見も述べたが、私はどうも史料から離れて議論する傾向が強く、あくまで史料にこだわるみなさんの研究態度に教えられることが多かった。みなさん、非常に熱心で、わずか数行のために1時間以上の議論がつづいた。
そのため、本日、進んだのはわずか1日分だけ(笑)。

ゼミ生はマスターとドクターの院生のみなさんがほとんどで、当然20代前半の若い人が多い。そんななか、私より年長か同世代かと思われる方が2人おいでだった。浮いていなくてよかったなと思う。何せ指導教官のK先生も私よりもだいぶ若いからなあ(爆)。

ともあれ、なかなか知的な刺激を受けた一時だった。
スポンサーサイト

【2007/06/16 00:19】 | 戦国島津
トラックバック(0) |

力作を期待
nick
当地の出ですが、地元の人はなぜか語らない。
今夜も黙々読んでます。

先生の力作を願望しています。

当地?
桐野
nick #EBUSheBAさん、はじめまして。

古い書き込みに、コメント有難うございます。
えっと、よくわからなかったのですが、当地とはどちらでしょうか? 上井覚兼の地元のご出身なのでしょうか?

上井覚兼はすぐれた日記を残していますし、私もそれを活用した作品が書ければと念願しているところです。
今後ともよろしく。

管理人のみ閲覧できます
-


コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
力作を期待
当地の出ですが、地元の人はなぜか語らない。
今夜も黙々読んでます。

先生の力作を願望しています。
2010/04/07(Wed) 21:08 | URL  | nick #EBUSheBA[ 編集]
当地?
nick #EBUSheBAさん、はじめまして。

古い書き込みに、コメント有難うございます。
えっと、よくわからなかったのですが、当地とはどちらでしょうか? 上井覚兼の地元のご出身なのでしょうか?

上井覚兼はすぐれた日記を残していますし、私もそれを活用した作品が書ければと念願しているところです。
今後ともよろしく。
2010/04/08(Thu) 08:56 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013/12/26(Thu) 22:55 |   |  #[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。