歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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本日、暑いなか、旧江戸城内郭、すなわち皇居東御苑に出かけた。

ある歴史紀行文の取材のためで、急ぐ必要はなかったのだが、篤姫関係もあって前倒しして急遽行くことにした。
陽ざしがかげり出す3時過ぎがいいだろうと思って行ったが、いやはや都心のど真ん中だから、暑い暑い。

じつをいうと、旧江戸城内郭に行くのはほとんど初めて。10年くらい前に一度行ったが、通り抜けただけで、ほとんど何も見なかった。

せっかくだからと、大手門から入城。
まず二の丸を見学。さっそく切り込みハギの枡形がお出迎え。立派な石垣である。雑木林を抜けて行くと、きれいな庭園があって驚く。菖蒲や紫陽花など、季節の花が咲いていた。
また、すべての都道府県木が植えられていて、宮崎県木のフェニックスまであったのに驚く。東京でフェニックスを見るとは思わなかった(写真参照)。
フェニックス

二の丸と本丸をつなぐ汐見坂を登る。坂の横にある白鳥濠の高石垣はおそらく現存する旧江戸城内で一番立派なのではないだろうか。

いよいよ天守台跡にたどり着いた(写真参照)。
明暦の大火で焼けて以来、この上には天守閣は作られなかった。上に登ると、風が吹き渡っているし、眺望もよく、とても気持ちがよい。
眼下に江戸城の本丸御殿跡が広大な芝生になっている。ここに大奥も、中奥(将軍執務室)も、表御殿もあったのだと思うと、感無量である。
ただ、案内板がやや不親切。できれば、大奥、中奥、表向の三区画を示すものがほしい気がする。
江戸城天守台

本丸内を散策する。
忠臣蔵で有名な松の廊下跡の碑もあった(写真参照)。
その場に立って、ここが吉良上野介が浅野内匠頭に斬りつけられた廊下のカギに曲がったあたりだとすると、白書院は向こうかとか、あっちが大広間かとか、想像をめぐらしてみる。
松の廊下

その後も三層の富士見櫓や白鳥濠の高石垣の上にある展望台から都心の景色を眺める。まわりは高層ビルだらけだ。

展望台から下りたところで、城内アナウンスが閉門を告げる。5時20分前だった。
同じ門から出るのは面白くなかったので、北側の平川門から出た。
水濠にかかる橋を渡ったところに、「太田道灌公追慕之碑」がひっそりと建っていた。太田道灌没後450年にあたる昭和11年(1936)に、ときの東京市長が建立したものらしい。何といっても、江戸城開基の人だから。

わずか2時間足らずの散策だったが、とても楽しかった。
考えてみれば、拙宅から地理的にもっともお手軽な城郭見学である。八王子城よりも近いかも。



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【2007/06/20 23:20】 | 雑記
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