歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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昨日午後から、表題のイベントに出かけた。

私はいつぞや講師として招かれたのが縁で、会員歴3年ほどの俄会員。
会の歴史はほとんど知らないが、創立から20周年で如水会館の大広間で盛大な大会を開けるというのは、歴史関係の親睦団体の底力は大したものだといえる。

記念講演は、徳川18代宗家の恒孝(つねなり)氏だった。20周年という区切りの大会にふさわしい講師である。

演題も「パクストクガワーナの終焉―得たものと失ったもの―」というもので、近世から幕末維新の260年の歴史を徳川側から総括するという内容だった。

むろん、お立場上、徳川政権に肯定的な評価になるが、単なる我田引水ではなく、「階級の中の平等社会」「権力と富の分離」「武士のモラルと洗練された経済社会」という小テーマとそれを裏づけるデータなど、近世をより客観的に鳥瞰しようという試みだった。

そして最後の結論で、徳川政権の崩壊によってによって失ったものとして「平和」を挙げられたのが印象的だった。島原の乱以来、200年以上にわたる平和なパクストクガワーナとくらべて、明治から1945年までの70数年間のうち、わが国が何らかの形で戦争に関わった年数が4割を占めるという指摘、つまり、日本の近代がまさに戦争の時代だったという客観的事実の提示は今日の世相に鑑みても重い問いかけだろう。恒孝氏も「平和」の大切さをいちばん訴えたかったのではないだろうか。

それに関連して、ついつい明治維新の必然性というか、果たして起こす必要があったのか、それとも、徳川による新たな近代の可能性があったとお考えですかという、仮定でしか答えられない、お馬鹿な質問をしたのは、じつは私めでした(汗)。
立場上お答えにくいにもかかわらず、友人の作家はこういっているという形で見事に切り返されたのには感心した。

会場には、来賓として大久保利泰氏(利通曾孫)、榎本隆充氏(武揚曾孫)もおいでになっていた。お二人はほぼ同期で、恒孝氏はお二人の少し下の後輩にあたると、大久保氏からうかがった。

もうひとつの質問も面白かった。明治維新後、やはり華族同士では、維新期に敵味方に分かれた感情のしこりというか、歴史意識の違いがあったのではないかという質問に対して、恒孝氏は学習院時代の旧華族仲間では「憎っくき大久保め」と冗談では言ったりすると、ユーモアを交えての回答。会場の爆笑を誘った。

華族同士の複雑でからみ合った婚姻関係、また学習院での教育と仲間意識などで、共通の集団意識が形成されたとの回答はその通りだろうと思う。

恒孝氏は会津松平家から宗家を相続されたわけだが、氏の養母にあたる先代家正氏の夫人は島津忠義の九女である。本来なら、真逆の敵味方だった同士の婚姻関係が象徴的で、それが数代継続されると、共同意識がおのずと生まれるに違いあるまい。

最後の抽選会では、龍馬カレンダーが当たりました。ほんとはNHK大河「竜馬がゆく」のDVDがほしかったけど……。
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【2006/11/27 10:01】 | 雑記
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